命あるかぎり――いな、命の力が萎えようとする時でさえ、新しき生命力を、空から、雲から、大地から、樹々から吸い取ってでも生きねばならぬ。志を遂げねばならぬ。
 
栄誉もいらぬ、名もいらぬ、富貴もいらぬ、理解もいらぬ、ただ己の「ひとすじの道」に、かじりついて、ぶざまなまでに悪戦苦闘を重ね重ねて、二十年、三十年、四十年を貫き通していく。
それこそが「勇気」ではないか。

若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの苦労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。
君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。心に合わない仕事をしなければならないこともある。
しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。そこで奮闘してこそ、「苦を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」痛快さも味わえるのだ。

安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。
心から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。どん底を見たことのない人生が、どれほど味気ないか。
つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。耐えて生きている人の心もわかるのだ。
踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。
強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。

枝垂れ桜は「糸桜」。朱い糸で、春の風景画を織りなしている。
樹下の花陰に立って見上げたなら、天人の爪繰る紅玉の玉簾が青空から降りてきたと見えるだろうか。
桜の花は、実は、若い青春の開花ではないのだという。
花が咲くのは「一年の最後の宴」なのだという。
花を散らした後、桜は次の年の「花芽」をつくり始め、夏には、ほぼできている。そして秋を越え、冬を耐え、春を待って、それまでの一年の努力を、最後に、にっこりと咲かせるのである。

人も、一生の最後に花咲けばよい。途中は全部、準備にすぎない。
最後に花咲けば、一生は幸福。
最後の数年が「心の花の宴」なら、人生劇は勝利。

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偉人達の名言集コミュに紹介されていた池田SGI会長の言葉です。

涙が止まらない・・・

何度読み返しても、その度に、深く深く心に突き刺さる・・・

「文字に魂を込め、文章に命を宿す」

ということは、間違いなく、池田先生に教わったことだ。

「偉大な師匠に出会えて本当によかった!」

心の奥底からそう思える。

僕は、これからも書き続けていく。

ただ己の「ひとすじの道」を貫き通す為に!