仏法って、生命の可能性を突き詰めた教えだと思う。「成仏」という最終目的を果たすために必要なものはすべて保持しており、それを信じ、あらゆる実践を通して引き出していく。それだけで、この一生で生きている間に成仏に行き着くことが可能ということ。
仏法には、輪廻の経験が薄くても、過去世の罪業がどんなに深くても、逆転満塁ホームランのようなものがあり、この一生で生きている間に成仏することが可能ということ。都合が良すぎる話に聞こえるかもしれないけど、僕たちが持つ生命にそれだけの可能性がないとも言い切れないんだ。
逆に、輪廻の経験が薄かったり、過去世や現在世での罪業が深かったりするだけで、この一生は経験のためとか罪償いのために厳しく辛い思いをして費やさないといけない、というような教えは、生命の本来の可能性への軽視である可能性がある。
「成仏」っていうのは、死ぬことではないし、死んでからでないと出来ないものでもない。成仏したからといって、苦悩とは無縁の楽園が待っている訳でもないし、逆に信じられないほどの過酷な迫害が待っている可能性もある。成仏とは、環境に影響されない絶対的幸福境涯に到達することなんだと思う。