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前回の記事では、プライドの正しい持ち方について書いた。
余計なプライド(重荷)を脱ぎ捨て、プライドを発揮すべきは、「人権」という普遍的で平等のものに対してであるべき、ということ。

余計なプライドでも自信につながる場合はあるかもしれないけど、「自信」と「プライド」の違いでも書いた通り、あくまでそれは相対的なもので、相手次第で変化してしまう程度の自信でしかない。

これまで書いてきたように、余計なプライドがなければ、他人と比べることによる劣等感などに振り回されることがなくなる。人によっては、これだけで気がずっと楽になる人が多いのではないだろうか。

ただし、それでも、尚、自信がない場合はどういうことが起こるのだろうか?

恐らく、自分自身がその状態にいるので、自分をモデルにして書いてみようと思う。

個人的には、長らく自信を失ってる状態。
だけど、余計なプライドはそれほど持っていない(つもり)。

物理的に外に出るのに抵抗はない。
非正規だとしても仕事をしながら経済的に自立した生活ならできる。
普通に、気の合う仲間とも遊びに行ったり出来るし、趣味もそれなりにある。

つまり、自分の守備範囲内のことなら何不自由なく出来る状態。

ただ、本当に自信があった頃の自分に比べると、行動力はずっと落ちた。
自信がないばかりに踏み出せないことは山ほどある。
物理的には外に出れても、自分の守備範囲内で立ち往生して引きこもっているような感覚がある。

変なプライドがない分、他人より劣っている部分があったとしてもほとんど気にしない。
だけど、昔の自分を覚えている分、何か新しいことにチャレンジしたり踏み出せないビビリな自分自身には納得がいかない。

以前の自分は、自分の守備範囲外のグループなどにも図太く入っていけた。

直接招待されてなくても果敢に入っていけた。
自分が入ればもっと場が楽しくなると信じられたし、実際にそうなっていた。
だから、そうすることに、迷いとか遠慮はほとんどなかった。

これが、自信を失ってしまったらどうなるか?

今の自分の場合、直接、招待されても考えてしまうレベル。
「歓迎されないだろうし、空気を乱すだけだ」というような後ろ向きな姿勢になって、迷いや遠慮が大いに出てくる。
明らかに歓迎されている場でないと顔を出しにくくなっている。

たとえ、活動や交友をもっと広げたいと願っていたとしても、自信がなければ踏み出せないことが多くなる。
結果的に、自分の守備範囲内に安住してしまい、それ以上の価値を生み出せなくなる。

この違いは、個人としても大問題だし、僕のように自信を失っている人が他にも沢山いるとしたら、実はとんでもないロスなんだと思う。
社会的には最低限の責任を果たしていたとしても、個々でもっと可能性を拓く余地があるのであれば、僕たちは損をしているということになる。

※「自信とプライド」最終回では、個人的にベストだと思える「余計なプライドがなく、自信を育んでいけるケース」で締めくくる予定。