個人的な考え方に過ぎないですが、過去の関連するつぶやきを掘り出して、「信じる」ということについての連続ツイートをしようと思います。

信じる(1)思想ってほんと怖いなって思う。宗教なんかの危険性はみんな良く知っていると思うけど、それよりずっと危険なのが、生まれる以前から社会に根付いていて何の疑いもなく無意識のうちに信じてしまっている思想だと思う。

信じる(2)宇宙的に見て、この世は僕らが遊び楽しむ為に設計されているとして、僕たち人間が人生に起こる出来事をネガティブに捉えるなら、それは僕たちが「勝手に」そうしているということになる。元々そう捉える必要はない。これは僕が学んだ範囲での仏法的な思想だけど、とても興味深い発想。

信じる(3)自分が「幸せになっちゃいけない」なんて言う人はいないと思うけど、根本の思想や潜在意識の中でそう信じている人はいるかもしれない。ネガティブに考えてしまう癖ってそういうところから来るんじゃないかな。そういう思想は、僕らのいる社会が作り上げている可能性も十分ある。

信じる(4)「『信じていたのに…』と言って裏切られたような感覚に教われる時って、実は、自分の都合の良いように解釈して勝手に信じていただけの場合も多い」という仮説を立ててみた。

信じる(5)信じようが信じまいが、あるものはあるし、起こることは起こる。そこにある一定の因果があるのか、それとも偶然起こるのか、誰もが納得する答えは出ないかもしれないし、出たとしてもそれ自体が間違っている可能性もある。結局は、自分で信じる対象を決め、その決断に責任を持つしかない。

信じる(6)信仰を持たなくても、信じる信じないを意識しなくても、僕らの活動にはすべて何かしらの信念が伴っている。どうせ信じるなら希望のあることを積極的に信じた方がいいに決まっている。逆に、希望のないことを信じて得することってあるのだろうか?

信じる(7)洗脳を恐れて何も信じずに疑う人ほど、既に深く洗脳されているように思えることがある。何が正しいかなんて答えが出るはずがないから、損得と因果を突き詰めて、自分自身で実験を繰り返し、信じる対象を自分で積極的に選ぶ。積極的に信じた方が得なことはきっと沢山ある。

信じる(8)「自分研究」ってとても大事だと思った。自分がどんな価値観を持っているのか。何と比べて物事を判断しているのか。何を根本的に信じているのか。意外と知らないもんだと思う。研究してもし過ぎることはないはず。

信じる(9)自分の思考は柔軟だと信じて疑わない人ほど、考え方が凝り固まっている場合もあるかもしれない。本当の思考の柔軟さとは、批判を快く受け入れ、根気の良い地道な対話によって自分を向上し続けられる人を言うのだと僕は思う。

信じる(10)楽観主義とは、「自分がなんとかする!」という意志の力だと思う。現状を嘆き悲しんだりふて腐れることなく、必ずまた流れが来ると信じ、どんと構えて前向きに次の手を着実に打っていけるという自信の現れだと思う。

信じる(11)「自信」とは、「自分の力を信じること」。今現在の実力が伴っていなくても、自分の潜在能力や可能性を信じられるのならば、自信を持つ事は十分可能だと思う。だとすると、一番大事なのは、自分の潜在能力や可能性をどう捉えるか。過小評価したらきっと損だ。