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「幸福」を「快楽」とはき違えたところに、教育をはじめとする戦後の日本社会の最大の迷妄があったと、私は思っております。そのはき違えのおもむくところ、「自由」は「放縦」や「勝手気まま」に堕し、「平和」は「怯懦」や「安逸」に堕し、「人権」は「独りよがり」に、「民主主義」は「衆愚主義」にと堕してしまう。

池田大作語録「人生の座標」より
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何て深い洞察なんだろう。
今まで突き止めたかった答えが、最適な言葉群で表現されている。

最も大事なポイントは、未だに多くの人々が、「幸福」を「快楽」とはき違えているということ。
個人的には、「快楽」は「幸福」のほんの一部分に過ぎないと思います。

最近、表面的で一時的な満足感だけで生きようとする人は、排他的になりやすいのではないかと思うようになりました。
それで、この言葉に出会ったとき、その表面的で一時的な満足感とは、「快楽」のことなんだと気づきました。

もし、そういった快楽的なものが幸福のすべてだと信じてしまったら…
恐らく、その快楽的なもの以外の幸福を受け付けられなくなると思うんです。
そうなると、本当の幸福に気づかせる為の外部からのあらゆる働きかけに対して、排他的になりやすいのではないかと思います。

「快楽」は比較的楽に手に入るけど、それが幸福だと信じて疑わない人が、わざわざリスクが必要な他の何かを掴みに行くとは考えにくいですから。
むしろ、そういう外部の働きかけに対して、対話ではなく、ただ押しつぶそうとするようになると思います。

この問題は、今起こっている様々な問題の根っこに極めて近い問題だと思いました。