アンサンブル

奇跡体験アンビリーバボー特集No.3ということで、アンサンブルについて書こうと思います。

2006年8月17日放送
未来へのアンサンブル?熊本盲学校の挑戦
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/p341_2.html

視覚障害を抱えた熊本県立盲学校の生徒たちが、一人の音楽教師の指導するアンサンブルによって、自らの定めた限界をぶち壊し、可能性を切り開いていく物語です。

img_90968_196215_0写真は熊本県立盲学校アンサンブル部さんのページより

 

アンサンブルとは、2人以上が同時に演奏する、合奏、重奏、合唱、重唱などのことです。

ある日、校長は、高校1年と2年の8名全員を教室に呼び、目の見えない彼らに、自由な楽器の組み合せで行う少人数の合奏という形でアンサンブルをやってもらう、と伝え、指導者として、オーケストラで活躍するプロ打楽器奏者の冨田さんを呼んだそうです。
みんなで助け合わないと良い演奏ができないこと、仲間を作るにはアンサンブルが最適と考えた、校長の思いやりからでした。

一番年上の水田さんがリーダーに指名され、バチのどこを持てばいいのか、鍵盤の位置もわからないまま、4ヶ月後には本格的なコンサートへの出演が決まってしまいました。
冨田さんの指導は厳しく、週一の練習後に必ず課題を残し、課題をやってこない者がいると容赦なく叱りつけ、説教だけで授業が終わる時もあったそうです・・・

もしかしたら、目が見えないというハンデを負った生徒に対してあまりにも酷い仕打ちだと思う人もいるかもしれませんね・・・
でも、冨田さんは、逆に、特別扱いせずに、どこの学校で教える時とも同じように厳しく指導することこそが、彼らに対する礼儀と思っていたそうです。

当然、怒鳴られたくないので、出来ない部員は空いた時間を使って必死に頑張っていたのですが、逆に、音楽経験があって練習しなくても出来るある部員は、授業が終わるとさっさと帰ってしまったそうです。
でも、彼には問題があり、単独練習では問題ないものの、いざみんなで合奏してみると、どうしても彼だけどうしてもタイミングが合わない。。。

そう、彼は、技術はあっても、アンサンブルに不可欠な『協調性』が著しく欠けていて、それが仇となり、アンサンブルに参加さえ出来ていなかったのです。
この出来事を通して、彼は、自分の欠点を自覚し、部員たちは、演奏者同士が気持ちを一つにすることの大切さを知ったそうです。

アンサンブルの楽しさを知った部員達は、無事にコンサートをこなし、人前に出る機会も増えたところで、冨田さんは、全国の精鋭が集まる最高峰の全日本アンサンブルコンテストに出場することを決めました。

当然、それからの練習はいっそう厳しさを増し、将来に不安を覚えていた上級生の部員が、退部を申し出たそうです。
そのときに、冨田さんは、コンサートに来ていた少女からの手紙を彼らに読んで聞かせたそうです。
その手紙には、演奏の陰に見える努力を想像し、どれほど感動したかが切々と書かれていたそうです。
さらに、後輩達は、来年卒業する自分達の為に、頑張って結果を出そうと影で真剣に話し合っていたのです。

それは、

悲観的になってばかりで何に対しても感動出来なかった人間が、人を感動させられることに気付いた瞬間、、、
何をするにも誰かを必要としていた人間が、誰かに必要とされた瞬間、、、
どこにも居場所を見出せなかった人間が、居場所を見つけられた瞬間、、、

だったのだと思います。

彼らの迷いは消えました。

指揮者のいないアンサンブルにおいて、目の見えない部員達が、曲の出だしをかっちり合わせることは至難の業でしたが、健常者より聴覚が発達しているその能力を利用し、息づかいを聞き分けてタイミングを合わせることで、見事にその壁を乗り越えたそうです。

いよいよ、アンサンブルコンテストの熊本支部予選が行われ、盲学校としては初出場ながら、彼らは、見事金賞を勝ち取り、全国大会への切符を手にしました。

そして、全国大会に向けて決意を新たにしたところで、リーダーの水田さんが命に関わる難病で倒れたそうです。
冨田さんは、自分の厳し過ぎる指導で無理をさせたと自分を責め、水田さんの母親に謝罪しました。

リーダーの抜けた穴はあまりにも大きく、アンサンブルを続けることを諦めかけていた冨田さんに、水田さんの母親は、続けさせてやって欲しい、と冨田に頭を下げてきたそうです。
アンサンブルによって明るく変わっていく息子の姿を見て、ここでその流れを断ち切ってしまうということが、息子にとって、死ぬことよりも辛いことなのだと思ったのでしょう。

全国大会に向けて、盲学校初の出場ということでマスコミも騒ぎ出し、自分達を見失いかけていた部員達に、冨田さんはさらに喝を入れました。
でも、部員達は、その厳しさをすべて思いやりに変換出来る度量を持っていたのか、冨田の誕生日には、わずかな時間を使って練習したバースデーソングを披露し、ケーキまでもプレゼントしました。
この日、冨田さんに渡されたメッセージカードには、「先生へのプレゼントは全国大会の金賞です」との決意が書かれていたそうです。

彼らの思い描いた道筋は現実のものとなりました。
最高峰の全日本アンサンブルコンテストにおいて、誰もがハンディキャップを忘れてしまうほどの見事な演奏をし、初出場ながら見事に金賞を勝ち取ったのです。

そこには、間違いなく、金賞よりも大きな価値がありました。
それは、一生残る仲間達の友情を得られたことに対する嬉しい気持ち・・・

校長と冨田さんは、身体的にハンディキャップを背負った人間を社会から切り捨てるのではなく、彼らの可能性を信じて指導した結果、自分たちで決めてしまっている「ここまでしかできない」という限界を壊して、見事に、限界の無い可能性を切り開かせたのです。

合唱もアンサンブルと言いますが、皆さんは、小学校とか中学校の頃、クラスで合唱やりませんでしたか?

僕は、いやいややっていながらも、練習していくうちに、徐々にクラスが一丸となって行き、そこにかなりの感動を見出せた記憶があります。

それも、学年で僕のクラスの評価が一番高かったときがあって、それもまた記憶を鮮明にさせているのだと思います。

今日、僕は、あるイベントで、1000人超の聴衆が見守る中、今月に結成したばかりの寄せ集めの合唱団で合唱を披露しました。

20代になって合唱をする機会ってきっと少ないですよね・・・

それを超シニカル(冷笑的)な視点で見る人もいるかもしれません。

でも、僕は、そういう人がすごくかわいそうに見えてきます・・・

だって、その独りよがりの変なプライドのせいで、この感動を味わうことが出来ないのですから・・・

アンサンブルは、チームのメンバーが一人でも欠けたら完成しません。

いつもと同じメンバーが集い、同じ目標に向かって団結し、協調しながら一つのものを創り上げていくのです。

そこにこそ、出来る者は出来ないものに教え、仲間外れなく能力の底上げを図ろうとする形が出来上がるのだと僕は思います。

学力世界一といわれるフィンランドの教育は、「教育というボートに乗った子供は一人たりとも落ちこぼさない」という考えが行き渡っているそうです。

出来る人は、自分の力で学んでいけるから放っておくけど、教師は、出来ない人の底上げをし、グループで学習する形態をとることによって、自然に教え合いが起きてくるそうです。

その甲斐あってか、学校間の学力の差はほとんどないそうです。

日本の「競争・蹴落とし・切り捨て型」の教育とは全く逆ですよね・・・汗

個人が大事だからこそ、個人を育む社会や組織やグループが必要なのだと僕は思います。

排他的な格差社会から脱却し、社会により大きな価値を生んでいくヒントは、このアンサンブルにもありそうだなと思いました。