誰もが疑わないような「絶対的なもの・こと」って何かを考えてみました。
それは、現実的に起こっていること、又は、既に起こったこと。
納得出来るか否かは別として、既に起こってしまった結果に対しては必ず原因があり、そこには一定の法則が働いていたということも、改めて考えてみれば恐らく誰もが疑いのないことではないかと思います。
実は、この因果は、算数のように誤差なく正確にすっきり割り切ることが出来ると思うんです。
でも、算数と違って、「人生」には、僕等のような生身の人間ではとても割り切れない問題がいくらでも発生しますよね。
多かれ少なかれ、誰もが何かしら納得出来ないことを抱えていると思います。
この「納得出来ない」というところに、その人の「我見」とこの「絶対的な因果の法則」とのギャップがあるのではないかと思うんです。
生身の人間にとって、この法則は理解し難い不思議なものに映りますよね。
特に、人間の生の営みの中で発生することは、もしかしたら地球温暖化の問題を正確に解明することより難しいかもしれないなと最近思います。
例えば、人間関係に悩む人が何故こんなにも多く、その多くが未だ解決の糸口を見出せていない問題について。
むしろ、地球温暖化の解明についてはかなり急ピッチで進んでいるけど、こういった普遍的に昔から存在するような問題に対しては、あまりウェイトが置かれていないような気がします。
もしかして、人間の営みに関する普遍的な問題は、割り切れないものとしてみんな諦めてしまっているのでしょうか?
科学や、自分の力で割り切れないことは信じないのが現代人だと思うんですが、僕等の人生だけ見ても、割り切れた問題より割り切れていない問題の方が遥かに多いはずです。
割り切れないことをそのまま放置しておいて痛い目に合い続けているのも、現代人の姿だと思います。
でも、実は、こういった問題も、正確に原因を割り出し、的確な対策を導き出すことも出来ると思うんです。
それには、個人的な我見を捨てて、この絶対的な因果の法則に忠実になることだと思うんです。
「我見」を持っていると、この法則に対してのベクトルの違い、範囲的な制限でギャップが発生します。
例えば、「物理的な法則がすべてだと思っている人でも、人生に満足出来ていない人がいる」といったことですね。
こんなことを言われると、「自分ではなくなってしまうのではないか」なんて思う人もいるかもしれないけど、個人的には、むしろこれをすることによってはじめて「本来の自分になる」くらいの変化になると思うんですよね。
それだけ、現代社会の価値観は引っくり返っているという可能性が高いです。
個人的に、多くの問題の根源がこの辺りにありそうな気がするので、これからも追求していきたいなと思っています。