この間、「人々のフォローの質が街のレベルを物語ってる」とつぶやいたけど、「フォローの質」について、自分なりに分析してみた。他にこういう研究をしている人がいれば、いろいろ話してみたい。
フォローの質0:フォローもしていない状態。肯定も否定もないただの「無関心」という状態。
フォローの質1:沈黙のうちの支持や応援もフォローの一種だけど、沈黙である限りフォローのレベルとして最も弱くなる。その意思が表に現れないし、相手にも伝わらない。よって、周りに人も第一歩を踏み出せず、全体的に沈黙が続き、活動家は独り相撲を続けるかどうかの葛藤に直面する。
フォローの質2:facebookの「いいね!」は、公然とした宣言であり、簡単でありながら、相手にも伝わるフォローの手段。一つでもあれば、その後もフォロワーが出てきやすい。そういう支えられている感は、活動家を後押しする。直接相手に言葉で応援するより価値があるかもしれない。
フォローの質3:facebookなど、ネット上で文字で応援や支持のコメントは、「いいね!」より影響力は大きい。活動家の投稿をリツイートしたりシェアしたりする人がいれば、その活動家への信頼性が高まり、周りの人の参加のハードルもぐっと下がる。
フォローの質4:もちろん、フォローにおいても、ネット上よりリアルの方が影響力を高められる。影響力を高めるには、公然と支持や応援をすることが必要。この場合、街宣カーに乗って選挙の応援をするようなイメージでもあり、友達に話して口コミを広げるイメージでもある。
フォローの質5:更にレベルの高い手段は、活動家と同じ事をすること。バカにされようが、惨めな思いをしようが、迫害されようが、活動家についていき、同じことをし続けること。優れた活動家が、天才になるかキチガイで終わるかは、そういう質の高いフォローがあるかにかかっている。
フォローの質6:もっとレベルの高いフォローの手段があるとすれば、活動家の活動を肩代わりして進めること。活動家も体が一つで、一日24時間しか時間が持てない。フォロワーが、活動家に代わって、同じ責任で活動を進められれば、活動自体は2倍のスピードで進むことになる。
 
この「フォローの質」の分析を元に、「日本」というコミュニティのレベルを考えてみると、「選挙」の結果で支持された政党に対し、国民は、フォローの質1のような、沈黙に近いフォローをしている状態だと思う。文句を言うから沈黙とは言えないかもしれないけど、具体的な行動をしないのはむしろ沈黙に近い。
もし、僕たち国民が、日本政府へのフォローの質を高められれば、結果は違ったものになるかもしれない。元々、国民が選んだ(支持した)のだから、政治的な失態に対しては国民にも責任がある。責任を取るのは、何も政治家たちだけではない。僕たち国民も何らかの形で責任を取る必要があるんじゃないかと思う。
国民に出来る最大限のフォローとは、このフォローの質分析からいうと、政治家の活動を肩代わりして進めることということになる。それは、政治家がカバー出来ない部分を、国民がボランティアで補うこと。例えば、政治家がカバー出来ない国民の声を、国民が主体となって集めること。国民がそれくらいするのが、むしろ、民主主義国家では自然のはず。
そういった意味だと、現在の日本国民の政治へのフォローの質の低さから、恐らく、僕たち国民も含めた「日本」というコミュニティのレベルもそれだけ低いと思う。政治家が無能というよりは、僕たち国民のフォローの質が低いのが元々の原因の可能性は十分あるんじゃなかなと思う。