もろQの今日の日記は、村上春樹の「ノルウェイの森」についてだった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=120620811&owner_id=133735

みんなすごくいろんな見解を持っているんだなぁと思った。
僕は、はっきり言って、この本に対して、具体的な見解ってのは全然持っていない事に今更になって気が付いた・・・

僕は、大学生の時にこの小説を読んで、当時は良く分からなかったけど、今になってすごく影響を受けてるんだなぁと感じている。

「好きな本・マンガ」のところでも上げているけど、実際、何が好きだったのか?って考えても良く分からない・・・汗

影響を受けたとはいっても、それを言葉に出来るほど具体的なものではないみたいだ・・・

実際、この本が特に優れた本なのかも良く分からない・・・

僕は、もともと、本って全然読まない人なんだ。
今までに読んだ本って、ほんと数えられるくらいしかないような気がする・・・
だから、もしかしたら、「好きな本」≒「今までに読んだ本」くらいになるかもしれない・・・

もろQは、この本を読み始めたきっかけの一つに、僕の「好きな本・マンガ」に入っていたからというのがあったようだけど、実際、この本が人に確信を持って薦められる本であったのかすごく疑問なので、何か申し訳ない気もした。

今でこそ、いろんな本を読んでみたい、というか、もっと広い知識を得るために読まなきゃいけない、と思うようになったけど、でも、やっぱり、僕は、人の本から何かを学ぶというより、自分で何かを導き出したいっていう気持ちが今でも強い。

その過程では、他人の考えってすごく邪魔になってしまうような気がしてしまう。。。

僕の場合はすごく極端な例だと思うんだけど、逆の極端な例は、本を受身でしか読まないという事なんじゃないかと思う。

結局、どちらのアプローチも悪い例なんだろうなぁと思う。

僕のような、あまり本を読まないで自分で何かを導き出そうとする人間の欠点は、自分で行き着いた答えというのは相当深いものになるけど、時間との兼ね合いで、広い範囲の分野に手が出せず、結局は、狭い知識しか得られないというところにあると思う。

このアプローチの最も危険な点は、孤立しながら悪い方向へ暴走してしまうと誰も止められない恐れがあるところだ・・・

逆に、本に依存して本を受身でしか読まない人の欠点は、結論は知っていても、そこまで行き着く過程が貧弱な為、なかなか深い知識が得られないまま、理解した気になってしまうところにあると思う。

このアプローチで危険なのは、著者が悪意を持って悪い知識を植えつけさせようとしていたとしても、それになかなか気付けないところだ・・・
また、相反する複数の情報が存在すると、その人の中で不調和を起こしてしまう場合もあるだろう。

結構前に、amiさん日記で、「本を友とする人々の件について。」というものを読んだ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=106536070&owner_id=493431

「本を友とする」という事は、付箋を貼ったり、マーカーで線を引いたり、コメントを書いたりしながら、あたかも 本と対話をしながら読み進めるという事だったと思う。

これって、さっき説明したような2つのアプローチの良いところをうまく汲み取った絶妙な本の読み方なんじゃないかとふと思った。

ただ受身の姿勢で、その著者の言う事を、そのままそういうもんだと真に受けてしまう訳ではなくて、その時々で自分の思った事、感じた事をぶつけていく。
場合によっては、著者に喧嘩を売る場面もあるかもしれない。笑

その本の著者が書いて、既に過去のものとなってしまったものが、読者の問いかけによって息を吹き返し、文章が現在進行形で尚も生き続けるみたいなイメージなのかなぁ・・・

本の続きは読者が補完していくみたいな・・・

僕はamiさんの日記を読んだとき、このアプローチ方法って素敵だなと思った。
言うのは簡単だけど実際にこのアプローチ通りに本を読み進めるのは極めて難しい事だと思うのだけど・・・

でも、そう思ってから、誰かの本を読んでる時に、すっごく些細な事でも、何かしらの不快感や不自然さを感じるようになって、その都度立ち止まって、自分で考えてみるという流れが出来始めたように思う。

だから、今は本を読むのがすごく楽しい。

今まで本を読んで来なかった反動で、今では読んでみたい本だらけになってしまった・・・

もしかしたら、一生、その待ち行列ってなくならないくらいかもしれないな。

とにかく、これは、僕が読書に目覚めた一つのきっかけだったんだと、今になって気付く事が出来た。