僕たちは、多かれ少なかれ、他人から分析されることに抵抗感を持つものだと思う。僕にもある。抵抗感が強い人は、プライドが高い割に自信が無い人なのかもしれない。 

「プライド」って「見栄」にも十分なり得るな。プライドを持つことがプラスに働く場合ってどんなときだろう? 

プライドについてちょっと調べてみたところ、プライドを持つことが「百害あって一利無し」と表現しているサイトを見つけました。 http://ow.ly/4XZ1E 

ポートランドには「あんたホームレスになるような人じゃないだろ」って人が、普通にホームレスになって、ストリートでお金を乞う。それも堂々と後ろめたさの微塵もなく。彼らからはプライドなんてほとんど感じられないんだけど、それだけに余裕さえ感じられるんだよね。 

確かに、「プライドを持て」って言われることがある。そういう人は、どういう意図でそう言うのだろうか?それに、プライドを持とうとする動機って一体何なのだろうか? 

プライドを持つ動機は、自分を鼓舞するため?だとしたら、どんな手段で? 

「プライドが高いのに自信がない人が引きこもりになりやすい」ということを聞いたことがある。プライドが高いばかりに、下手すると、人前に出れなくなってしまうこともあると思う。 

現代の日本人のプライドの高さは、ポートランドのフードカート(屋台)の文化にも現れているかも。ポートランドにはフードカートがもう600以上あるらしいけど、日本食専門店たった一件。屋台ごときでは社会的に認められないと思っているところがあるかも。 

プライドの高さっていうのは、社会の中で認められる難易度を高めるものなのかもしれない。プライドの高さに比例して自信がなければ、社会の中で居づらくなる。プライドを捨てて社会で認められる難易度を低めれば、ぎすぎすしたものが緩和されて、より多くの人が居場所を見つけられる社会になると思う。 

アドバイスをするのに、「プライドを持て」と言うのと、「プライドを捨てろ」というのと、いろんな視点から考えてみたら、どちらが相手のためになるのだろうか。「場合による」という結論になると思うけど… 

「地球市民」とか「人間」としてのプライドだったら大いに持つべきだと思うな。スポーツマンシップのような潔い公正さを持てない状態で、プライドを持ってしまうことに、問題があるような気がする。 

「プライドを持つ」ということが価値的で建設的に生きるのは、人間として普遍的な権利を主張する場合だけだと思う。例えば、社会的に不利な立場にあるグループが人間の尊厳としてプライドを持つ場合で、あるグループが他のグループより優れていることを示すためのプライドではない。 

自分だけが優れているという優越感ではなく、自分を含めた人類全体の、あるいは生き物全体の可能性や尊厳に誇りを持てるということ。