昨日、ポートランド州立大学(PSU)で行われたInternational Nightに参加してきました。
PSUは本当にいろんな国から学生が学びに来ていて、こういう機会には本当に国際的でディープな空間が生まれます。
もはやこれは「芸術」です。
参加している留学生一人一人が芸術の一部を担って、全体として強烈な芸術が生まれるんです。

実は、僕は、このイベントでファッションショーのモデルをやりました。
ボランティアの参加者は入場料が免除されるということで飛びついたんです。笑
人によっては、他国の服装をすることになるんですが、僕は幸運にも(?)日本の服装(浴衣)でした。

よく考えると、僕は純日本人の外見なんで、この場所ではそれだけで価値があるんですね。
浴衣を着て、日本から持ってきた扇子を持って出ただけで、みなさん大喜びでした。

僕が、列記としたこのイベントの芸術の一部になれていたんだということだと思います。
このイベントにおいて、日本人というだけで僕に価値があったということです。

日本の中だけで考えたら、日本人であることは特に大きな意味を成さないかもしれない。
だけど、世界における自分と考えたら、日本人であるということは価値になると思う。

実際に、僕は、僕が純日本人のルックスであることが、日本の中では何も面白みがなくて嫌いでした。
でも、国際的な視点で見れば、実は、これは相当強力な武器だと思うんです。

そこで、僕はこう思いました。
「すべての国の人に価値がある」という考えはごく自然なんじゃないかと。

今、大学でMinoritiesのクラスを受けていて、アメリカの人種差別の歴史を通して、少数民族という枠を作ることによって社会にどんな影響が出るのかを学んでいます。
人種や国籍によって、勝手にランク付けをするという恐ろしい世界です。
人の価値を、そういうった枠で勝手に決めるんです。

あの国の人間は価値がない、あの国の人間は価値がある・・・って。
アフリカ大陸から強制的に連れてこられた人々は、「奴隷」という、人間の価値自体がないという扱いでした・・・
今や世界的に、人種や国籍という枠よりもっと細かくランク付けが行われていて、偏見や差別が平然と行われているように感じます。

これって、本当はものすごく不自然なことだと思うんです。
それが当たり前という時代に生まれた僕等には、この不自然さに気づくことさえ難しいのかもしれないですね。

でも、僕は、自分が世界の中の一市民であるということを、このイベントで体感できました。
日本人である僕の価値は、他の国の人のもの以上でも以下でもない。
同時に、他の国の人の価値は、僕のもの以上でも以下でもない。
みんなが、同等に無限の価値があり、世界という芸術のパズルのかけがえのないピースなんです。

日本で暮らしているとなかなか体感しづらいと思いますが、この感覚はすごく重要だと思いました。