実は、先週の土曜日に、両親と、おばさんの娘さんで僕の従姉妹にあたるお姉さんが、下宿先のおばさんちに来てました。
毎年恒例のおばさんの料理をご馳走になる集いです。

この時、オーストラリア旅行から帰って来たばかりでかなり弱っていたのですが、従姉妹から、僕の学会入会についての話を持ち出されてしまいました・・・

ある程度覚悟はしていたのですが、こんなにもすごいものだとは思っていませんでした。。。汗
何がすごいって、全く話を聞いてくれないんです・・・涙

それが一番顕著に出ていた会話の一部を抜粋すると・・・

僕:日蓮仏法は、特定の神様や仏様を拝んでいる訳ではないんです」
従姉妹・父親:お前は何も分かっていないんだね。だって宗教なんでしょ?
僕:そりゃぁ、宗教ですよ。
従姉妹:じゃぁ、誰かを”ナムナム”しているんでしょ?
僕:だから違うって言っているでしょう!ご本尊はただの紙切れです。その紙切れを鏡にして、自分を映し出して、祈りを自分にぶつけているんです!(この辺は僕の解釈なのですが・・・)
従姉妹:はぁ?・・・

雰囲気的には、僕が精神病でも抱えてるんじゃないか?っていう感じでしたが、本当にそうなんでしょうか?
これは皆さんの判断にお任せします・・・

従姉妹や父親は、常識の視点でしか話してませんでした。
でも、僕は、常識の範囲で考えるより、根本的にどうあるべきなのかという視点から始めたいのです。
なので、やっぱりほとんどの話はかみ合うことがありませんでした。。。

もちろん、思わずドキっとしてしまうような指摘を受けた場面も、僕の考えがまだまだ甘いなって思った事もありました。

言いたい事がうまく言えなくてもどかしい思いもしたし、話を聞いてくれないからって、分かってもらうのを諦めていた自分もいました。

やがて、反論が少なくなってきた僕に、父親は、「お前は何も信念がないな。そんなんならやめちまえ」といいました。

でも、実は、話を聞いてもらえず、めちゃくちゃに理不尽な事を言われ続けても、投げ出さずに、ケンカ腰にもならずに、冷静に話を聞ききったこと自体が僕の信念なんだと思いました。

おばさんだけが、その信念をちゃんと見ていてくれました。

かなり前置きが長くなりましたが、この一連の出来事で一番悔しかったのが、父親の、「お前は、宗教に何を期待しているんだ?」という問いに、僕がうまく答えられなかったことでした・・・

その後、一人になって、僕が、この信仰に求めるものって何だろう?って考えてみました。

答えは意外と簡単でした。

それは、『成仏』することです。

『成仏』って聞くと、死ぬことくらいに連想してしまう人もいるかもしれませんね・・・

実は僕もそう思ってしまっていた口ですが、それは死後の世界だけの話ではないんです。

実は、『成仏』って文字の通り、「仏に成る」ってことなんです。

仏って、神様みたいな特別な存在ではなくて、普通の生身の人間なんです。

もちろん、誰にでも仏になることは出来ます。

『成仏』に加えて、『天国』も『地獄』も、僕達が生活しているこの世に厳然とあるんだと僕は思ってます。

日蓮仏法では、十界論という考え方(?)があります。
去年の11月、任用試験という学会の仏法の初級試験を通して学びました。
アメリカから帰ってきた後に猛勉強したのを良く覚えています。。。

人間の生命には、以下の10の状態が存在します。

地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界

一般的な人間は、地獄界から天界までの6つの状態を行き来していて、声聞から仏界までの4つの状態は仏道修行によって開かれると言われています。

それぞれの状態を細かく分析していくとかなり面白いですよ!
あ、ここに詳しい解説が載ってましたので、興味があったら読んでみて下さい。
http://homepage2.nifty.com/watasikara_anatahe/zyukkai.html

単純に、地獄界が地獄で、仏界が天国くらいに考えて良いのではと僕は思ってます。

これは、明るいか暗いかとかの目に見えるものではなくて、その人の生命の状態を示しているんだと思います。

だから、仏界に至ったからと言って、必ずしも生活が楽になるという訳ではないんです。

例えば、生活や自分の置かれている立場等はますます厳しくなっているのに、相変わらず幸せってことなんです。

具体的に分かり易く例えると、引越しをしても、外国に住むようになっても何もスタンスは変わらず、コンビニが無くなっても、バブルが弾けても何の不自由もしないということです。

一応断っておくと、仏に成るということは、全くこんな次元じゃ語り尽くせないもののはずです・・・

何しろ、何が起きても幸せでいられて、どんなに困難なことだったとしても自分が幸せでいる為の必要なアクション(自分が幸せでいるという事は、皆が幸せという事も含む)が起こせて、揺るぎない絶対的な幸福状態を維持出来るということなんですね。

宗教とか仏とかの観念を除けば、これって、実は、みんなが目指しているものじゃないですか?

でも、世間一般の学校では、なかなかこういったことを教えてくれないし、それに結びつくような具体的な訓練もしてくれないものです。

本来、宗教っていうのは、こういった人間にとって一番大事なことを教え、修行という形で訓練してくれる人間の為の学校のようなものなんだと思います。

日本では、オウム真理教や法の華なんかが、宗教に対しての一つの固定観念を作ってしまったけど、宗教って、本来、そういうものなんだと僕は思うのです。

世間とか常識とかの窮屈すぎる世界で細々と学ぶより、宇宙をも巻き込むような広大な信仰の世界で伸び伸びと学びたいなと僕は思います。

全然まとまってないけど、多分、僕が信仰に求めるものはこの辺にあるんだと思っています。