「衝突」の必要性を考える

今日は、「人びとの間の衝突のポジティブな面」について、過去のつぶやきを掘り出していこうと思います。

405506361_4ff98cf1a6_b

衝突(1)僕は、人々の間の日常的な衝突の推進派です。僕の目指すまちづくりは、その衝突を復活させるためと言っても過言ではないです。そういった衝突なしに社会が健全に成り立ち、人々が幸福になれるなんて、夢物語でしかないと思います。

衝突(2)僕がこれまで生きて来て感じるのは、日本人はどんどん他人との衝突やトラブルを避ける方向に向かっているということ。 漫画喫茶のように個室に分かれている居酒屋を見たとき、とうとうここまで来たか、と思いました…

衝突(3)他人と衝突してトラブルに巻き込まれるのは嫌ですか?僕も嫌です。でも、それを避けて通ることが、他の場所で衝突やトラブルを呼んで、結局、自分もそういうトラブルに遭う確立が高くなると思うんです。だから、日常的なトラブルや他人との衝突で自分を訓練しつつ、予防していく努力が必要だと思います

衝突(4)衝突は衝突でも、人々の間で、「有意義で価値的で必要不可欠な衝突」って有り得ると思う。日常的で人々の間で自然に起こる衝突の積み重ねが、「戦争」という巨大な衝突を未然に防ぐ原因になることもあるかも。

衝突(5)「私の体をささげたい」…イタリア女子学生がイラン大統領に求愛…「彼女は争いを呼ぶだけの厄介な人間なのか?」https://bokudeki.me/is-she-just-a-troubling-person-to-call-for-fighting/

衝突(6)変革には「衝突」が必要不可欠。ソーシャルメディアはとても有効なツールだが、それ自体で変革は起こせない。何故なら、使う人次第で衝突から逃げることが出来てしまうから。むしろ、推進すべきは近所での生の交流、生の日常的な衝突だ。衝突を超えた信頼関係でなければ、本当の絆は生まれない。

衝突(7)戦争は何が原因で起こると思いますか?人々が日常的な小さなトラブルや衝突を避けて、乗り越える事を怠った結果だと思うんです。根っこにあるのは、人々の「無関心」だと思います。

衝突(8)「寛容」という言葉はとても誤解の多い言葉だと思う。他人がやっていることを何でも許せば寛容?自分が気に入らなくても自由にさせる?明らかに他の人も迷惑しててもやらせてあげる?ケンカ売って衝突したらもう寛容じゃない?

衝突(9)無関心でいるくらいだったら、ケンカ売って衝突した方がよっぽど寛容だと思う。

衝突(10)未だに危険な宗教団体が後を絶たないのは、人々が関わらないからだと思う。「近寄らない」という選択をすれば、やりたい放題にさせるだけ。関われば洗脳される?そんな人はとっくに社会に洗脳されていると思う。日常的に衝突を繰り返していくしかないと思う。

衝突(11)「日常的な人々の衝突」をどう捉えるか?そういった衝突を極端にネガティブに捉えるとしたら、衝突を起さないために人々の交流自体を制限するようになりそう。僕にもやっぱり心当たりがある。でも今の僕の興味は、この「日常的な人々の衝突」をどう人々の間に復活させるか、なんだ。

衝突(12)本当の孝養って何なのかを最近良く考えます。必ずしも親の言う通りにすることではないですよね。お互いに妥協しない道が見つかるまで、衝突し合いながら探していくしか無いのかもしれないなと思う今日この頃です。

衝突(13)映画版の「NANA」を観ました。Netflixで借りられました。原作も登場人物もほとんど知らない状態で観たんですが、とても面白かったです。性質の全く違う二人が共同生活を送るのって、トラブルも多いと思いますが、楽しいことも多く、どちらにしても後で思い出に残るもんなんですよね。