やっぱり許せないことって、やっぱりいくつかある訳です。
その一つは、中身を知らないくせに、全否定出来てしまうこと。
それは、僕が正しいとか間違っているとかの問題じゃなくて、ただフェアでは無いと思うから。

今日、父親と激しく口論をしました。
僕が必ずしも正しくなく、ケンカ別れのようになってしまった責任の一端は自分にもあることはわかっています。

きっかけはとてもつまらないことでした。
一度劇場で見たけど、映画のアバターをDVDで借りようと思っていて、弟に見てみたいか聞いてみたんです。
弟は特に興味が無かったようで、それに漬け込んで、父親が「あの映画はダメだ」と話に割り込んできました。

あたかも、「アバター」について既に知りつくしているように言うんですが、そんなに断定している割には、映画を見てもいなかったんです。
判断材料は、日本のテレビのアバターのCMだけ。
そのCMでは、「映画の目玉は「3D」であることだけで、それを盾にするということは、内容が無いという証明だ」という風に行っていました。

僕は、父親がアバターを見ようが見まいがどちらでもいいし、批判的な意見を持とうがいいんです。(以前、日記に書いたとおり、どちらかというと、配信方法などで、僕も批判的なところがあります)

でも、内容を知らずに、CMだけを見て、全否定してしまうのは、明らかにおかしいと思うんです。
明らかに、判断する為の材料が足りていません。

弟が、北野武監督の「アウトレイジ」の話を持ち込んだ時も、「あれもダメだ」といいました。
CMを見たとき、「全員が悪役」というのを聞いて、大体ストーリーが分ったと言っていました。

個人的には、それだけ聞いただけじゃ、ほとんどどんな話か分りません。
決め付けるようですが、父親にも分るはずがないんです。
だから、事実は、「よく知らない」ということだけなんです。
「知らない」から「判断しきれない」はずなんです。

そういった父親の振る舞いだけで、この人は、中身を知らずに、先入観だけでものごとを判断する傾向性があることが分ります。
そういう人が、パワーを持ったらどうなると思いますか?
父親はうちの家族の中で、大きなパワーを持っています。
そういった父親の傾向性を放っておけば、家族がそんなに大きな危機に陥らないにしても、父親のきまぐれ的なもので、どんなに価値的なアクションも、そのパワーで押しつぶされてしまうかもしれません。

冒頭でも言いましたが、僕は、自分の正義を示したい訳ではないんです。
ただフェアな議論、判断をお互いにしていきたいだけなんです。
パワーでコントロールするのではなくて、十分な判断材料を集めた上で、フェアな形で判断を下して行ってもらわないと、僕個人が困るだけじゃなくて、まず、家族という共同体全体が困るんです。

表面上はそんなに問題ないように見えても、実は、既に損をし続けているんです。
もっともっと価値を生めるのに、それを放棄してしまう訳ですから。
その損失は、家族だけのものではなくて、もっと大きな、地球という共同体の損失にもなりえます。

「父親にもっと寛容になれ」、という人がいるかもしれないけど、それによってどこにどういう形で影響があるか、その関連性についても敏感になるべきだと思うんです。
確かに、正義を示しあうとぶつかるだけなので、先に、フェアであるといえる線をどこで引くかを確認し合うことが必要だと思います。

今回のことで言えば、映画自体を見ないうちは、「良く知らない」というのが事実であって、「判断し切れない」というのが本当のはずなんです。
これがフェアな形であり、判断したいなら、最低限、映画を見てからにするのが、フェアでしょう。

こういったことは、とっても些細なことに見えて、とても重要なポイントだと個人的には思います。