SUA(アメリカ創価大学)でのSGIの青年部幹部トレーニングコースに参加してきた。創価学会員であることをこんなに誇りに思ったことは今までに無かった。そこは、アメリカ中から集まった400人のリーダー達が、ドラッグにもアルコールにも頼らずに、魂を揺さぶり合って歓喜し合える場だった。 

アメリカ人の中にも、僕よりずっと歓喜し、確信を持って学会の活動をしている人も沢山いることを知った。僕より信心歴も長ければ、親の代から続いているメンバーもいるし、アメリカでこんなに根付いていることがとても不思議に思えた。 

オレゴンのSGIはまだ小さく、活動していて独りぼっちに感じることはあるけど、こういう集まりがあると、それぞれの場所でそれぞれ奮闘があり、ブレイクスルーがあり、独りぼっちではないと思い安心感が芽生える。別の場所で活動するメンバーを信頼し、自分は自分の場所を磐石にするだけなんだ。 

信頼出来る仲間たちと時を共にし、今まで封じられていた言葉や背負わされていた重荷が解き放たれた。初対面かどうかなんてあまり関係ない。当事者性を持って参加し、共に歓喜し、時にケンカし、些細なことでも幸せや感謝を感じられる場。こんなコミュニティを自分のいる場所で作りたい! 

参加者としてではなく、このトレーニングコースをボランティアとして裏で支えてくれた人々には本当に感謝したい!自分もそういう立場で良く活動をするので、それが、大変な割には賞賛もされず、割に合わないものかを理解している。彼らが、どうしてそこまでするのかも理解している。 

今、最も求められているのは人材だ。自分が踏み台になってでも人材を育てたい!それは決して自分を犠牲にするということではない。自分が人材になる事も大事だし、体を張って人材を育てることも大事。人材同士の生命の触発が、社会に想像も出来ないほどの大きな価値を生む。 

「今」がどんな状態なのかはそれほど大きな問題ではないと思う。問題なのは、どれだけ人材がいるか。一人の人間の可能性を決して過小評価してはいけない。自分が人材になるだけでなく、どれだけ人材を育てられるか。それだけで、この地球の未来が180度変わる。 

創価学会には問題が山積している。個人的に、仏法自体に疑いは無いけど、人間が作るもの故に創価学会という組織には疑いがある。でも、自分の好き嫌いで行動を変えるような小さなことはしたくない。評判が悪く、自分のステータスが汚されるからといういうだけの理由で敬遠するようなことはしたくない。 

コミュニティの崩壊が進む現代にあって、創価学会のように未だにコミュニティが活き活きしてている団体は珍しい。すべてがうまく行っている訳ではないにしろ、弱いもの同士で集い、家庭訪問して励まし助け合える可能性があることだけでも素晴らしいことだ。それが生命線になってしまう人は沢山いる。 

僕が、今までのキャリアを捨ててまで留学し、コミュニティ開発を勉強しようと思ったきっかけは、創価学会に出会い、コミュニティの可能性に気づいたことだった。僕は、2005年に初めて創価学会の座談会に参加した時の感動を今でも覚えている。こういう場が今足りないんだと。 

創価学会の行っていることがすべて正しいとは思わない。だけど、今の悪循環を逆転させるには、コミュニティを活性化させ、失敗をしながら因果を学び、手探り状態で進んでいくしか無いと思う。それは決して無責任なことではないと思う。それ以外に、絶対と言える方法を誰も知らないはずだから。 

このトレーニングコースに参加して、本当に信心がリフレッシュした。個人的には、全国規模の不特定多数の集まりは好きではないけど、地べたに這いつくばったローカルの活動だけでは限界があると思った。たまには、全体をピクチャーで捉えることも必要。このコースは、そのための最適な機会だった。