僕は、この映画を、成田からサンフランシスコに向かう飛行機の中で見ました。
第81回アカデミー賞外国語映画賞を取ったそうで、僕もいつか見たいなと思っていて、やっと実現しました。
この映画で焦点となっているのは、納棺師という職業への偏見と、その実質的な価値の対比だと思います。
主人公が、ひょんなきっかけから、納棺師としてのキャリアを始める訳ですが、その影響で、付き合っていた彼女も出て行ってしまい、昔の友人も軽蔑して関わらなくなってしまうようになってしまいます。
噂を聞いたその友人が、積もる話もあるはずなのに、明らかに軽蔑した口調で「もっとマシな仕事に就け」と言って、さっさと行ってしまう場面がすごく印象に残っています。
でも、やがて、その彼女も友人も、納棺師という仕事の価値を見出すことになるのですが。
こういった職業的な偏見ってあらゆるところにあると思います。
なんていうか、それなり以上の規模の企業に入社して社員として働かないとダメみたいな・・・
「自営業」という立場でも偏見にさらされる社会構造になっている気がします。
僕は、将来的にビジネスとしての農業もやるつもりでいるんですが、そういった構想を父親に話すと、「農業をやるために留学させたんじゃない!」とか言われるんですよ。
これは、明らかに農業に対する偏見がありますよね。
また、これはほんの些細なことなんですが、日本滞在中に何度か釣りに行きました。
で、何かの拍子に、釣りに行くことを「ただ遊びに行っている」というように取られたんです。
これは、趣味の一環なんで当たり前とも取れるんですが、魚を釣って食べるということは、すごく生産的なことだと思いませんか?
僕は、自分でも信じられなかったんですが、なかなかのサイズの舌平目を釣ったんです。
その夜、それを家族みんなで食べました。
以前、「日本くま森協会の誕生物語 クマともりとひと」という本を読んだのですが、そこにはこう書かれていました。
「私たちは結論として、これからの自然保護は、水も酸素も食料も、もはや自分の町からは何ひとつ生み出せなくなっている都市の市民が立ち上がって、お金も力も出し、都市の生命線である自然を残してくれている郡部の人たちに、理解と協力を求め、保全のプロである自然保護団体に入ってもらい、公共事業を導入して税金を使って進めていかなければ出来ないと思っています。」
この中の、「水も酸素も食料も、もはや自分の町からは何ひとつ生み出せなくなっている都市」という部分がポイントです。
今の社会構造の中でちやほやされている職業の多くが、水も酸素も食料も何一つ生み出せていないんだと思います。
何も生産出来ずに、ただ消費だけしている状態です。
いくら頑張っても、消費しか出来ない。
これが明らかに社会を持続不可能にしている、ということは明らかでしょう。
そんなもののために、過酷な競争社会の中で多くの人が血眼になって生存争いをしている・・・
それでいて、水や酸素、食料の生産を地道に支えている人たちを軽蔑しているんです。
映画のことから話が脱線したかもしれませんが、おそらく、この映画の言いたいことはこういうことなんだと思います。
いや~、とにかく、大分考えさせられる映画でしたね。