僕は、普段、テレビはほとんどと言っていいほど見ないのですが、特定の番組だけ毎週予約録画して見ています。

好きな番組はいくつかありますが、奇跡体験アンビリーバボーは特に好んで良く見ます。

毎回、世界で起こっている事を知り、考えるきっかけを得たり、新たな感動を得たりしていますが、8/31に放送された「ルワンダ ひとつの愛」では、特に心打つノンフィクションの物語が繰り広げられていました。

ルワンダ ひとつの愛
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/p343_2.html

その物語のヒロインは、僕の実家の隣の茅ヶ崎市に住んでいる吉田真美さんです。

彼女は、10年前のルワンダの内戦で手足を失った人たちに、生きる希望を届けようと、現地で義肢工房を開き、実際に無償で義肢(義足や義手など)を作る傍ら、その技術を現地のルワンダ人に伝える活動をしています。

彼女は、小さい頃から外国に興味を持っていたそうですが、普通に学校を出て、普通に就職して、普通にOLとして働いていたそうです。

そんな毎日に何か物足りなさを感じていたんでしょうね。

彼女は、会社を1年半ほど休み、滞在費の安いアフリカのケニアに滞在したそうです。

そこで一人のルワンダ人男性ガテラと出会い、お話をするようになったそうです。

ガテラは、幼い頃にマラリアの治療に失敗し、麻痺した関係で、片足が不自由でした。

日本に帰国した後も、ガテラとの文通は続き、ケニアからルワンダに再入国する際に拷問を受け、しかも再入国も果たせず、理不尽極まりない仕打ちを受けたにも関わらず、前向きでいようとするガテラに、自分が抱えている悩みがどんなに小さなものなのかを悟ったそうです。

次第に、ガテラへの想いも募っていき、この気持ちが何なのかを確かめるために、再びケニアの地を訪れ、その年の秋に、今度はガテラが来日したそうです。

その時に、ガテラが転倒し、着用していた義足が壊れるアクシデントが発生しました。

彼女は、ガテラを連れ、日本の義肢職人を訪れ、日本の高度な技術で、ガテラの義足は新調されました。

その時の今までに見たことがないほどのガテラの笑顔が、彼女を義肢職人へと導くきっかけになったそうです。

最初は、「ガテラが困ったときに力になりたい」というガテラ個人が対象だったそうですが、やがて、ルワンダの内戦により、その対象は、ルワンダという国の規模へと拡張されていきました。

僕は良く知らなかったのですが、1994年4月に勃発したルワンダの内戦では、国民の10人に1人、およそ80万人が犠牲となったそうです・・・

ほかにも手足をおので切り落とされる、地雷の爆発で手足を失うなど、多くの人が身体に障害を負ってしまったそうです・・・

僕のように、この事実を知らない日本人がほとんどだと思いますが、知っておきながら見過ごしてしまった人もいたと思います。

でも、彼女は見過ごすことが出来なかったのでしょう。

内戦が終結し、ケニアからルワンダに再入国出来なかったことが不幸中の幸いとなり、難を逃れたガテラとルワンダで再会し、たった二人で、ルワンダ再建を誓ったそうです。

彼女は、日本に帰国後すぐに、全国の義肢製作所を訪れ、中古の義足を譲ってもらえるよう頼んだそうです。

全国からは60本を超える義手や義足が、「亡き家族の為にも役立てて欲しい」というメッセージと共に送られてきたそうです。

彼女は、一本も無駄にしないという強い気概で、再びルワンダへ降り立ち、義肢工房を立ち上げ、手足を失ったルワンダの人々へ、無償で義肢を提供しました。

しかし、当時のルワンダの現実は厳しく、せっかく手に入れた日本の高度な技術の施された義肢を取り外し、路上で物乞いをする人々を、彼女は数多く目撃してしまったそうです・・・

義肢があるばかりに同情してもらえない・・・

想像を絶するほどに悲しい現実です・・・

この時、ルワンダ全体が、希望を失い、絶望に満ち溢れていたのだと思います・・・

挫けそうになりながらも、希望を取り戻して欲しいと願った彼女は、日本の新聞に、ルワンダの選手をパラリンピックへ出場させるための寄付を呼びかける記事が掲載したそうです。

その結果、200万円の寄付が集まり、2000年10月18日に、オーストラリアのシドニーで開催されたパラリンピックに、ルワンダ初の出場が実現したそうです。

出場を果たしたセザールは、以前、彼女が義足を作った男性だったそうです。

もちろん、トレーニングもろくに出来る環境ではなかったので、ひどい記録だったそうですが、希望を失いかけていたルワンダ国民に、再び希望の光を見出せたということは言うまでもないでしょう。

パラリンピック出場は終わりではなく、始まり・・・

彼女とガテラが始めた活動は、確実に、ルワンダの社会を変えている。

二人の呼びかけにより、数々の障害者によるスポーツ団体が生まれたそうです。

自分の存在する意味さえ失いかけていた障害者達が、今では、みんなで楽しく笑いながらスポーツを楽しめるようになった・・・

一人の日本女性が一人のルワンダ人男性に恋をしたことがきっかけとなり、ルワンダという一国を大きく変えてしまった・・・

彼女は、その身を持って、ルワンダと日本との架け橋となったのだと思います。

------------------------------–

この実話には、僕の夢へのヒントが凝縮されていました。

それだけに、この放送を見終わった時、涙が止まりませんでした・・・

僕は、このような地道で目立たない影の存在こそ、光を当て、最大に尊重していかなければならないと思います。

NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」では、1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で放射能に被災した子供たちを日本に招き、転地療養をさせる「里親運動」に14年間も取り組んでいるそうです。

来日した子供達は、髪の毛が伸び、顔色も良くなっていく。

何より、彼らの笑顔が、この活動の原動力なのだと思います。

代表の野呂美加さんは、その活動を讃えられ、代表として「地球市民賞」を受賞したそうです。

このように、日本から発信され、世界へ渡された架け橋がいくつもあります。

本当
に尊い事だと思います。

また、この話にすごく近い性質をもった活動が、現在進行形で行われているので、それもご紹介したいと思います。

『海を渡るバイオリン支援の会』という団体で、譲り受けた154台のバイオリンを、故障しているものは修理し、犯罪に走りやすいドミニカ共和国の少年達へ送り届けようという活動です。

代表の田中さんに、僕のコミュニティでも紹介していただけたので、詳細はそちらで確認してみてください。

募金のお願い
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=7974072&comm_id=716496

豊かな先進国の国民が、その富を自分達で抱え込もうというのではなく、世界の発展途上の国へシェアしていく・・・

僕は、これこそが在るべき姿だと思うし、僕達、先進国の人間が果たすべき使命だと思っています。

またまた長くなってしまいましたが、皆さんには、読んでもらえて感謝しています。