「宗教も間違えるし、科学も間違える」

僕が参加している「持続可能な国づくりの会」が主催したシンポジウムで、基調講演をしてくれた東大の神野教授が言っていたことです。

科学は、「部分」的な範囲で完全な論理が展開されるもの。
宗教は、「全体」から説くのでなかなか論理的な展開が難しいもの。

科学と宗教は、このようにアプローチは正反対なだけで、実はどちらも間違えやすいものなのです。

オウム真理教をはじめ、「宗教が間違え得る」ということは誰もが納得することだと思います。
これは、実際に信仰を持っている僕としても否定する必要のないくらい紛れも無い事実です。

では、科学についてはどうでしょうか。
皆さんは、科学は信頼できるものだという認識でいるかもしれませんね。
でも、実は、周りを見渡せば、過去の科学者が良かれと思ってやってきたことが、予想外の悪い結果を引き起こしていることなんて、いくらでもあるんです。

一つ具体的ば例をあげれば、以前日記に、オーストリアの交通の分野で活躍する科学者であるハーマンさんの紹介してくれたエピソードを交えて、下記のように書きました。

========================================
科学者や経済学者や政治家などの権威のある人たちがそれぞれの尺度でいろんな計算をして社会が形成されると思うんですが、温暖化をはじめ、いろんな計算外の悪いことが常に起こり続けていますよね。

面白いことに、自動車依存まっしぐらな状態から大胆な交通改革を行った都市で、たったの一週間でその地域に住む人はその環境に順応したというケースがあったそうです。

結果的には鉄道や歩行者中心社会に戻った形なのですが、これは学者たちが全く予期出来なかったものなのだそうです。

人間の心理や心の分野になると、科学的にはまだまだ解明が進んでいないことを物語っていますよね。

サイクリングのすすめ
http://www.bokudeki.info/2008/05/blog-post_3883.html
========================================

まさに、科学者の予想はことごとく外れて、良い意味でも、悪い意味でも、予想外の結果が現われているんです。

これは、何故かというと、科学は、「部分的な範囲」でしか論理が通用しないからなんです。
つまり、科学というものは、その範疇を超えると、たちまち論理が通用しなくなってしまう、何とも儚いものなんです。

個人的には、科学の解明が特に進んでいない分野は、「宇宙」、「自然」、「人間」の3つだと思っています。
現代世界は、この3分野をほとんど無視して、部分的に論理が通った時点で派手な生産活動をして、予想外の悪い結果を生み出し続けていると思うんです。

僕達現代人は、目に見える物質的なものしか信じない傾向がありますよね。
実は、これも科学と同じで、超部分的なものでしかありません。
その範囲では論理が通用するかもしれないですが、その範疇を超えればたちまち論理が通用しなくなります。
しかも、部分ごとにしか論理が組み立てられないので、その部分と部分の間に存在する関連性になかなか気づけません。

結果的に、起こってしまった悪い結果に納得いかずに、原因が分からないまま何となく不幸を感じて生きているのが普通の人間の姿だと思います。
例外なく、僕もそういうところがあります。

僕たちの個々の身勝手な「我見」とも言えるものは、実は、本当に限られた範囲でしか通用しない論理しか持ち合わせていないと思います。
それを計るバロメーターとなるのは、一つは、「自分の考えが、どれだけ思い通りに実生活に反映されているか」です。

科学は完全に答えを与えてくれるものでは無いということは、これまでの歴史が物語っていますよね。
科学が重要でないと言っている訳ではなくて、科学は部分的にしか通用しないものだという認識をすべきだと言いたいんです。

人間がそれぞれ一代で、一からこの宇宙全体の論理を解明するのは極めて難しいでしょう。
だから、むしろ、人間には、科学と宗教をバランス良く持つことが必要なんじゃないかと思います。
どちらかが偏りすぎただけで、正しく機能しなくなる可能性があります。

幸い、最初に紹介したシンポジウムでは、パネリストである科学者達が宗教的な「全体」へのアプローチへ歩み寄る姿勢が感じられたので、個人的には少し希望が持てました。

僕は、「宇宙」「自然」「人間」を貫く法則を明快に解き明かした超論理的な宗教の存在に気づき、科学の知恵を借りながら学び、実践し、確信に変えて行っています。
実践をし始めてから、考え方が劇的に変わっただけでなく、実生活がみるみるうちに豊かになりました。(もちろん予想通りとはいえませんが)
恐らく、自分の中で、論理が通用する範囲が劇的に広がったのだと思います。

皆さんは、自分の「論理が通用する範囲」をどう自己評価しますか?