誕生日だからって訳じゃないんですが、今日は過去の自分を振り返ってみたくなりました。

誰にでも、消したい過去はあると思う。
僕にもやっぱりある。
それを、ためらうこと無く語れる人って、勇気のある人だ。
その人は、きっと、現在の自分に自信のある人だと思う。
そういう人は、過去の失敗や失態など、きっと笑い話に出来てしまう。

僕は、不思議と、「過去のダメだった自分」を積極的に語りたいと思えるときがある。
最初から何でも出来る人間なんていない。
過去を隠して、元々万能な人間だったように見せようとするのは、ただのエゴだと思う。
本当の利他的な人間は、「過去のダメだった自分」だって、人に希望を送るためのツールにすると思う。

どんな過去があってもいいと思う。
もっと言ってしまえば、現在がどんな状態でもいいと思う。
問題は、「それからどうしていくか」だということ。
それ次第で、過去を受け入れることが出来るようになる。
もっと言ってしまえば、過去を示すことで、現在、将来の自分の成長の度合いを鮮明にすることが出来る。
それ以上に、自分を励まし、人を励ます方法は無いんじゃないかと思う。

僕よりすごい人間なんてこの世界に五万といる。
そういう人たちと自分を比較しても答えは出ないと思う。
問題は、過去、現在、未来のそれぞれの「自分」との比較。
その「どれだけ成長出来たか」だったら、僕は自信がある。
現在の自分がそれほど大した人間でないとしても。
僕は、他人を評価する時も、この点を重視する。

僕がどれだけダメ人間だったかというと…

大学こそ卒業したものの、就職活動で30以上の企業にあたったが、何と、ほとんど第一段階のSPIという一般常識テストで落とされた。
例えば、漢字もことわざや四字熟語などあまりにも知らないので、友達に笑われた。
一般常識さえ、あまりにも知らなさ過ぎた。
就職氷河期とはいえ、それ以前の問題だった。

大学に行ったのも、両親に「お金をだしてやるから行け」と言われたから。
就職先を「IT関係」にしたのも、友達が言っていた「IT関係じゃないと就職は難しい」という話に影響されて。
僕は、環境に流されるだけで、自分で決断したことは本当に少なかったと思う。

就職も、親戚の叔父さんのコネだった。
就職が決まったはいいけど、大学を卒業するための単位数が足りないと勝手に勘違いしてしまい、ちゃんと数える前に、何故か会社へ電話して「卒業出来ないかもしれない」というようなことを言って、不審感を買ってしまった。
でも、改めて数えたら、ぎりぎり足りていたことに後で気がついた。

どれだけ、この時の自分が悲観主義だったのかが自分でも良く分かる。
基本的に、常におどおどして、周りからは「頼りにならなそう」と言われていた。

その会社に入社した僕は、あきらかに他の同期より劣っていた。
実際、僕は昇進も昇給も、他の同期よりずっと遅かった。
どの同期も巨人に見えて、どんなに頑張っても超えられない壁だとさえ思っていた。

月に一回、同期で集まってOJT報告会というのをやっていて、他の同期は司会進行役などうまくこなせるのに、僕がやった時は見事に失敗して、他の同期の冷たい視線が痛くて仕方なかったことを覚えている。
この時、僕は確実にうつ状態にあった。
その日の帰りに大きな川のほとりにしばらく佇んでいて、思い悩んで自殺も考えた。

基本的に女性に積極的になれない性格で、出会いがないことに悩んでいた僕は、出会い系にハマることになる。
だけど、ほとんどは、痛みしか残らなかった。
振り向いてもらうために、等身大以上の僕をメール上で演じていた。

基本的に、出会い系は、お互いが過度の期待をして、実際会ってみると期待に反していてがっかりして終わるパターンが多いと思う。
どうしたって、僕は背の高いイケメンにはなれないんで、ほとんどは外見でがっかりされ、内面の自信のないその時の僕には勝ちパターンは持ち合わせていなかった。

それが、10年前の自分の姿。
もちろん、バンド活動など誇れる面もあったけど、ほとんどはコンプレックスの塊だった。

僕は、この過去の自分を消そうとするより、向き合うだけより、自分がどれだけ成長出来たかを示すためのツールとして有効活用することにした。
「僕に出来ることはみんなにも出来ること」というメッセージを添えて。

僕が成長すればするほどみんなを励ませるなら、僕はもっともっと頑張ろうと思える。