この間、NHKの「音楽の遺伝子」という番組で、槇原敬之さんの特集が放送されていたのをたまたま観て、それからいろいろ考えていた事を書こうと思います。

僕と世代がズレる人はもしかしたら知らないのかもしれないけど、個人的に、J-POP史に残ると思われる名曲「どんなときも。」が発売されたのは、確か僕が中学生の時だった。

甘酸っぱい胸キュンメロディがたまらなくて、当時、良くカラオケで歌ってたのを良く覚えている。

当時の槇原さんの歌は、ほとんどが「男女間の恋愛」がテーマだったと思う。

僕は良く知らなかったのだけど、彼の音楽の遺伝子は、大きく分けて、下記の3つなのだそうだ。

【第一の遺伝子】 YMO : 音楽の様式美
【第二の遺伝子】 カレン・カーペンター : 思いを伝える歌声
【第三の遺伝子】 美輪明宏 : 歌に込める魂

ちょっと古い話になってしまうけど、本来の槇原さんに、これらの遺伝子が調和する事によって産まれた曲が、今や日本人なら誰でも知っているであろう、「世界に一つだけの花」なのだ。

その歌詞を下記に載せておこうと思う。

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『世界に一つだけの花』

 花屋の店先に並んだ
 いろんな花を見ていた
 人それぞれ 好みはあるけれど
 どれもみんな きれいだね
 この中で誰が一番だなんて
 争うこともしないで
 バケツの中 誇らしげに
 しゃんと胸を張っている

 それなのに 僕ら人間は
 どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのに その中で
 一番になりたがる?

 そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

 困ったように 笑いながら
 ずっと迷ってる人がいる
 頑張って咲いた花はどれも
 きれいだから仕方ないね
 やっと店から出てきた
 その人が抱えていた
 色とりどりの花束と
 嬉しそうな横顔

 名前も知らなかったけれど
 あの日僕に笑顔をくれた
 誰も気付かないような場所で
 咲いてた花のように

 そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
  一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

 小さい花や 大きな花 一つとして
    (小さい花 大きな花)
 同じものはないから
 No.1にならなくても いい
 もともと特別な Only one

 ララーラ ラーララ ラーララ ラーララ・・・・・

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昔の槇原さんを知っている人なら、曲調といい歌詞といい、らしくないなって感じるかもしれない。

この歌の歌詞は、いつの時代でも愛されるべき普遍的な響きがあるなと感じていて、僕はとっても好きだったのだけど、まさか槇原さんが作詞をしてたなんて思いもよらなかった。

曲調に関しても、僕の槇原さんに対する固定観念から見てしまうと、やっぱりらしくないと思ってしまう。

この番組中ですごく興味深かったのは、槇原さん自身も、これは「必ずしも自分で歌いたい歌ではないかもしれない」というような事を語っていた。(はっきりは覚えてないのだけど・・・)

それを「歌わなければならない歌」というような表現を使い、さらに彼は話を続けた。

結果的に、彼の歌は、多くの人の心に届いたんだ。

そんな槇原さんにも、1999年に、覚せい剤取締法違反で逮捕されるという苦い経験がある。

完全に目的を見失っていたその謹慎中に、美輪明宏の著書「紫の履歴書」に衝撃を受けたらしい。

美輪さんって、一言で言うとどういうイメージがあるだろうか?
僕は、美輪さんの事を知らないうちは、ただ気持ち悪いオカマだと思っていた。

でも、この番組を見て、僕の美輪さんに対する見方が180度変わった。
美輪さんって「慈愛」の塊のような人なんだなと思った。

そんな美輪さんから大いに影響を受けた槇原さんもまた、話し方や仕草が、分かり易い表現で言うとすごくオカマっぽくなっていたのだ。
正直、僕の未熟な感性からは、ただ気持ち悪いって思ってしまうくらい・・・

僕は、「中性的」という言葉で、これをうまく表現出来るんじゃないかと思った。

今読んでいる新渡戸稲造さんの「武士道」のP52に、下記のようなフレーズがあった。

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 仁は、優しく、母のような徳である。高潔な義と、厳格な正義を、特に男性的であるとするならば、慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えている。
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「仁」や「慈愛」というのは、あくまで女性的な性質であるだけで、男性に備わっていない訳ではないと思う。

逆に、女性であっても、この性質があまり感じられない人が、近年すごく増えてきているように思える。

要は、男女関係なく、その性質が強いか弱いかなのだ。

美輪さんや槇原さんは、その性質が特に強いだけで、本来、人間として不自然な点と言うのは全くないのではないかと思えるようになった。

それは、男女間の恋愛を超えた、例外なく世界中の人々を対象とし、それらをすっぽりと包み込んでしまうような深い深い愛なのではないかと思う。

本当にそうだとしたら、果たして、僕等は、彼らから降り注ぐ太陽のような愛を無視して、軽蔑の眼差しで見れるだろうか?

最近の槇原さんの曲は、「ラブソング」というより、「ライフソング」と言うらしい。

多分、それは、男女間に拘わらず、家族間の愛や友を思いやる気持ちなども含む、もっともっと広い意味でのラブソングなのではないかと思う。

それは、特異なリズムを取り入れる事も、気取った言葉で飾る事も必要なく、必要なのは、どこまでもストレートに伝わる普遍的な音と言葉だけなのかもしれな