先日、自分の不注意から、アコースティックギターを地面に落としてしまい、裏面の一部が激しく破損してしまいました。。。

30万円近くするものを中古で12万円程で購入したのですが、修理代が20万円近くかかるということです・・・

先日も日記に書いたとおり、アコギの面白さが分かり始めた矢先の出来事だっただけに、さすがにショックで、実は、少し前までは失意のどん底にいて、今でも、時折、後悔の念が僕を襲います。。。

支払えない程高額な修理代ももちろんショックでしたが、自分のふがいなさと、修理したとしても完全には元に戻らないこと、時間を戻したくても戻せないこと、、、何より、モノを大切に扱えない自分に対して、絶望感さえ感じていました。

一番ショックだったのは、

「傷が付いて気に入らなくなったから、同じようなモノに買い換えればいいや」

ってことをいとも簡単に考えてしまった自分に対して。。。

モノに対する愛着という点では、僕は、恥ずかしくなるほど無いと思います・・・

「激しく消耗させて買い換える・・・」

この繰り返し・・・

それで、僕は一時的な満足を得ていたように思います。

すごく恐ろしいなと思ったのは、同じ商品名、同じ形、同じ機能を持ったモノだったら、どれを使っても全く同一モノなんだと錯覚してしまっていたこと・・・

例えば、ある電化製品を全く同じ電化製品に買い換えた場合、自分の生活する範囲では、使い方も変わらないし、見え方も何も変化はない。

だけど、それは、確実に、似たようで異なる資源の材料から組み立てられた完全に異なるモノなんだ。

「不要になったモノが視界から消えたら、その後の事なんて気にも留めない・・・」

僕のように、こんなことを多くの人がしている限り、地球の超貴重な資源を食いつぶす流れは止められない気がする・・・

現に、すべての事に目を瞑って、傷モノにして気に入らなくなってしまったギターを捨て、新しいギターを買ってしまえば、「僕だけ」の範囲だけでみれば、さほど影響は無かっただろう・・・(金さえあればの話だけど・・・)

こんな事を平気で考えてしまっていた自分が、今はすごく恐ろしく思える・・・

傷モノになったとはいえ、ちゃんと音は出るんです。

僕にはもったいないほどにキレイな音が・・・

人間に例えれば、手足が無くても、人間にとって一番大切な「こころ」は健在だということです。

お金がなくてちゃんとした修理はしてあげられないけど、僕なりに出来る限り修復して、このギターを一生大事にするという意味で、この傷と一生付き合っていくことに決めました。

モノを大事に出来ないのは、僕の宿業(カルマ)なんだと思います。

いつかはこの流れを断ち切らなければなりません。

このギターの傷を見る度に思い起こすでしょう・・・

モノを大切にするこころを・・・