結構前に聖教新聞に載った内容ですが、とても共感できたので転載させて頂きます。

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 通路では誰とも出くわしたくない。出会っても型どおりの挨拶で済ませる――都会の集合住宅に、ありがちな心の風景だ

 身近に起きた老人の孤独死をきっかけに、そんな社会に風穴を開けたいと、10年前、パリの青年が「隣人祭り」を始めた。アパートのご近所同士で開くパーティーである。メディアの紹介もあり、運動は瞬く間に欧州、世界へと広がった。昨年は世界で、延べ750万人が参加したという

 行き過ぎた個人主義が、家族崩壊や格差社会を生んだことへの反省、人の絆の中に幸福を見出す価値観の変化が、東西を問わず広がっている。人間の強欲のままに暴走する市場主義の行き詰まりも、その流れを加速させる

 詩聖タゴールは「すべてを与えるものが、すべてを手もとにおける」(芝山幹郎訳)と。他者に接し、他者に尽くす。その中に人は幸福を得る。利他は即、利自となる。この「菩薩道」の真理を知り、体現してきたのは、創価の同志である

 「隣人祭り」の先駆者ペリファン氏は言う。「アパートの壁の向こう側には、見えない苦悩が隠されている。ドンドンとドアをノックして、それを開放するのだ」(『隣人祭り』ソトコト新書)。少しの勇気を出してみよう。新しい出会いと喜びが待っている。(飛)

名字の言 2009年4月22日
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みなさん、「隣人祭り」というものを知っていましたか?
僕は名前だけ聞いたことがあったんですが、その時とても忙しくてろくに調べられずに忘れたままでした。
今では日本にもバッチリ支部があるんですね。

「隣人祭り」日本支部
http://www.rinjinmatsuri.jp/main/

僕は、例えば、老人の孤独死を発端にこういった運動が広がるっていうのは、人間としてすごく自然な流れだと思うんです。
だから、逆に、そういった一つ一つの死に無関心なこと、苦悩の中にいる人の自殺を笑うようなことは、すごく人間として不自然なことだと思います。

僕には、今この瞬間に、世界各地で心の中で助けを求めている人の悲鳴が聞こえます。

僕は、彼らが可哀想でただ同情している訳じゃないんです。
彼らを放っておくことが、最初の一歩を踏み出させてあげられないことが、どれだけ自分にとってのロスなのかを痛感しているんです。

以前の僕も、同じように、その一歩を踏み出せずにもがき苦しんでいた一人でした。
でも、今の僕は、いろんなことに挑戦し、幸福の軌道に乗ることが出来つつあります。
社会への実質的な貢献が出来るように頑張れています。
そして、その姿が、沢山の人を励ますことに繋がっている。

僕は自分が体験してきたことを知っているから、せめて、今立ち止まってしまっている人たちに、第一歩を踏み出させてあげたいと思うんです。

こんなことを言ったら反感を買うかもしれませんが、紛争や飢えなど目に見える悲鳴なら、まだ解決はしやすいかもしれない。
だけど、プライバシーでがちがちに固められた現代社会の構造の中で、誰の目からも届かないような場所に追い込まれてしまった人の悲鳴を聞くのは、とんでもなく難しいことだと思うんです。

どうやったら、何かしらの支援が彼らに届くのかを日々考えています。
まず、僕一人では無理があるでしょう。
僕が人生で出会い関係を持つ人は限られていますので。

でも、それぞれみんなで、縁あった人をケアする運動を起こしたらどうでしょう?
人間なので、好みが合う人、価値観が合う人、波長が合う人などに流れてしまうのは分かるんです。
でも、ここは人を選ばず、嫌いなタイプの人にも、全然違うタイプの人にも、近寄り難いと思ってしまっている人のことも気にかけてあげる。

僕という個人から出発して、例えば広島の郊外の片隅で自殺を考えている人まで行き着く方法は、僕が縁あった人たちをケアすることに加え、その人たちにも縁あった人に人を選ばずケアするよう呼びかけること。(かなり複雑な表現になってしまいましたが、是非とも解読してみてください。)
このネットワークを地道に広げていくしかない。

そういった流れを引き寄せるためにも、こういった先駆的な運動が行われているというのはすごく助かります。

また、その他のアプローチとして、僕は「まちづくり」という分野でこの問題に挑戦しようとしています。
過度のプライバシーを盾に出来てしまう社会は、それぞれで人に打ち明けられない秘密を溜め込んでしまえると思うんです。
それで、外に出れずに引きこもってしまうケースが多い。
社会と関係を絶った場所で長く過ごしていると、健全な思考を持つことが難しくなると思います。

「アパートの壁の向こう側には、見えない苦悩が隠されている。」
本当にその通りだと思います。
苦悩が隠されているどころか、もはや、アパートの隣の部屋で、殺人や人体実験が行われていてもおかしくないんです。

僕は、多くの人の中にある「過度のプライバシーの意識」をぶち壊したい。
人々が喜んでプライバシーを放棄できるような魅力的なまちづくりをしていくのが僕の使命です。