
フィンランドの小さな都市から始まったという「オープンダイアロ
直訳すると「開かれた対話」。
個人的な解釈では、例えどんなに病的な話でも思う存分語らせ、自己完結を補助する対
この対話手法について、べてるの家のメールマガジン「ホップステ
~~~~~~~~~~~
浦河のアプローチはこのオープンダイアローグと共通点が多いと言
で、エピソードとして思い出されるのが、山根耕平さんの「UFO
今から10年くらい前のある日、山根さんはUFOに乗るためにえ
たいとみんなに訴えました。そこで多くのメンバーが集まってミー
開かれ、本人も交えてその対応が話し合われました。
「宇宙船は何人乗り?」、「どうして乗りに行かなきゃならないの
ど、次々と質問や意見が飛び交います。
ちなみに「オープンダイアローグ」にはこんなルールがあります。
「Do not tell the truth(本当のことを言ってはいけない)」。
べてるのミーティングでもルールがないにも関わらず基本的にみん
ています。つまり、「それは病気だ」とか「症状だ」といった一般
ような野暮ったいことは誰も言いません。
それは「語り」を封じてしまう言葉だと斎藤先生は言います。
その山根さんのミーティングでは「UFOに乗るには免許証が必要
になりました。かつて大和さんが無免許でUFOに乗ろうとして二
て骨折したと言うのです。
すると山根さんは「免許は持っていない」と言います。
ならば、免許を取りに行こうという話になり、無免許では行かせら
う意見にその場の全員が同意しました。
結果、山根さんはUFO の免許を取得するために「川村宇宙センター」に入院し
たのでした。
~~~~~~~~~~~
この場合の「川村宇宙センター」とは、精神病院のこと。
みんなに説得された訳でもなく、とことんみんなで対話した結果、自然な流れの中で精神病院に行くこととなったということ。
語りを封じずに思う存分語らせることで、相手は結果的に自らある
この自己完結のプロセスが重要であり、対話はそのための補助であり、環境という位置づけになる。
強制的にそうさせる訳でも、そうなるように誘導する訳でもない。
僕たちは、この自己完結のプロセスの途中で、どうしてもお節介だったり、アドバイスという名の余計な横やりを入れてしまいがちだ。
でも、そうではなくて、自分が相手に思う存分語らせるための環境になるということ。
そうすることで、相手は自分の力で自分の可能性を拓くということにつながる。
このオープンダイアローグが自然とできる人が多くなれば、社会の
“「オープン・ダイアローグ(開かれた対話)」が病んだ社会の処方箋になる” への1件のフィードバック