
この記事では、「余計なプライドを捨てること」と「予定調和よりカオス」というのがテーマだと思う。
メディアのルールは変わった。今のプライドを捨てる勇気はあるか? – milieu(ミリュー) https://t.co/AOCowT78LT
めちゃくちゃタイムリーな話題だった!最近、エリート街道をもう一段進むチャンスがあったけど、それも無くなって、元々やりたかったフリーランス・起業の道に舵を切る決断をした。
— 栗田 宏昭 (@clikanist) December 13, 2017
この記事でいうプライドは、僕の場合は10年以上前に捨てていた。それは合理的ではないし、自分にとってはプラスにならないから。だから、僕は、今、乗りかけ始めてる「エリート街道」からも簡単に降りれる。
また、予定調和なんて全く魅力を感じないし、かなり昔から、他人や状況を可能な限り「コントロールしない」という変わったポリシーを持っていた。思い通りにことが進むより、良くも悪くも予想外のことが起きないと面白くないと思ってしまう。
僕は2012年の時点でこんなことをつぶやいていた。
不確実性を楽しめるかどうか。プライドが高い人は、予期しないことが起きたり、自分が知らないことが出てくるとイライラするかもしれない。だけど、そんなプライドが無い人は、予期しないような新しいことに、むしろワクワク出来る。
— 栗田 宏昭 (@clikanist) September 25, 2012
それは、僕が構想するプロジェクトでも根幹となってる。例えば、結局うまく行かなかったけど、平塚市民プレスは以下のようにカオスになって衝突やトラブルが生まれることを必ずしもネガティブに考えない設計だった。それは、ある意味、民主主義の訓練の場としての機能としての狙いもあった。
「平塚市民プレス」の構想で外せないことは、①内容を「平塚に関すること」に限定する、②実名登録は必須、③運営側がなるべくコントロールせず、意見や決定権はあくまで一人分、④無法地帯から何らかの秩序が成り立っていくまで温かく見守る、⑤衝突やトラブルを必ずしもネガティブに見ない、など。
— 栗田 宏昭 (@clikanist) July 25, 2012
サイトの質や威厳を守る為に、編集者を用意したり、思わしくないコメントなどを排除したりは極力しない。質の低い状態から始まっても、記者同士の横のつながりで切磋琢磨しながら質を上げて行ければいい。無法地帯で始まっても、同じように横のつながりで秩序が成り立っていけばいい。
— 栗田 宏昭 (@clikanist) July 25, 2012
今思えば、ある意味、これはドイツの「ミニ・ミュンヘン」をオンライン上に再現するような取り組みだった。
https://bokudeki.me/essay/mainessay/423