学校が始まってちょうど一ヶ月が経ったころですが、うちの大学はクウォーター制なので、もう中間テスト時期です。。。
日々恐ろしい量のリーディングに追われ、今はMid-term Paper(9枚くらい・・・)を仕上げなければならないため、想像を絶するほど大変です・・・

今書いているPaperは政治に絡んだことです。
「市場原理の働いた政治」の批判についての結論を以下のよにまとめようと思っています。
アメリカでもそうですが、日本でも選挙が近づいてきて、政治について考えてみるいい機会だと思います。
ドラフトで親切な説明がないので読みにくいかもしれませんが、是非読んでみてください。

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市場原理が働いているPublic Institutionは、Public(公)ではなくて、ただのPrivate(私)。「官」から「民」は、実は「公」から「私」である。「私」をゲストハウス、「公」をコレクティブハウスと仮定して説明する。

ゲストハウスは・・・、コレクティブハウスは・・・。どちらも・・・な暮らしを狙っている。だけど違いがある。それは運営形態にある。ゲストハウスの運営は株式会社が主流である。一方、コレクティブハウスの主流は非営利団体である。

「私」であるゲストハウス人気ある。集まる。簡単に見つかる。予めGeneralな形で用意されているから。選ぶだけ。サービス。市場原理が元の株式会社のサービス。この場合、運営方法はオーナーの会社が握っている。利益追求の為、権限はコントロールされているのが常である。競争原理のマーケットではそれが当たり前なので、住人は受け身なユーザーになるしかない。責任がないのでただのユーザーのままがいいという人もいる。しかし、しばしばオーナー側と住人側の意向の違いが起こる。いよいよ住人我慢出来ないレベルになった時、住人はプロテストなどの強硬な手段に出るだろう。Politicsに市場原理が働いている以上、このようなシナリオはいくらでも描ける。

他方、公。コレクティブハウス人気が出てきたけど、踏み切る人は少ない。簡単に見つからない。何故ならまだ形がないから。集まった人たちで、自分達の力で一からcollectiveの形をデザインすることから始めるしかない。そこには市場原理が働いていないので、自分の意見が通りやすい。審議次第ではcollectiveなagreementまで十分行き着ける。共同のキッチンはもちろん、工作室、図書館、畑に至るまで、住人が必要とするものを持つことが出来る。これこそがPublicであり、それは市場原理が働いていないことが絶対条件である。