「後悔」って感じる瞬間はどんな時なのか、考えてみた。

それは、それまでの自分がやってしまったこと、又は、やらなかったことを、その時の自分が否定している時なのかなと思った。

こういう瞬間は、僕には山ほど心当たりがある。

一つは、去年、大学院留学を目指して、志望動機のエッセーを作成していた時。
自分には、アピールポイントがこんなにも無いのか、と自分が情けなくなった。
今までの人生で、これほど後悔したときは無かったかもしれない。

丸裸にされた気分だった。
嘘になるギリギリの線でいくら小細工をしようとしても、明らかに限界があった。
そういう努力をしようとすればするほど、惨めな気分になった。
少しでも実績を作ろうと、その時になってはじめて、いろんなことを勉強し行動し始めたけど、既に手遅れだった。

結果的に、今回、大学院の夢は破れてしまった。
学部レベルの専科コースで留学が決まったとはいえ、敗北は敗北だった。

無気力・無関心でダラダラ過ごしてきてしまったことを、今の自分は悔いている。
その時は良かれと思ってやらなかった自分を、今の自分は激しく否定している。

後悔するっていうのは、例えばこういうことだと思う。

ということは、今の自分が良かれと思ってやっていること、又は、やらないことを、未来の自分が否定するかもしれないということだ。

10年後、30年後、死ぬ直前の自分が、それで良かったと思えるか。
例えば、未来の自分が国連で働きたいと思っても、その時点からのスタートでは、残りの人生でその目的を達成出来るか分からないということ。

今から後悔しないためには、「たった今」から始める必要がある。
どこまでも「未来の自分」の身にならなければいけないということだと思う。

仏法では、三世永遠を説く。
「過去世」、「現在世」、「未来世」に渡り、生命が永遠に続くということ。

この観点から言うと、「未来の自分」とは、現在世の自分に限ったことではない。
現在世でつくった業は、結局、未来世で背負わなければならないということだ。
僕たちが生まれもった境遇や宿命に違いがあり、不平等であるのも、実はこれで説明がつく。

この観点で続けると、後悔しないためには、未来世の自分の意見にも耳を傾けないといけないということ。

いったい、どこまで先を見通し行動しなければ、後悔しなくて済むのか・・・

三世永遠を信じるかどうかは個人の自由だけど、現在世に限定しても、後悔するメカニズムははっきりしていると思う。

未来を見通すと言っても、具体的に何をすればいいのか分からなくて立ち往生してしまうかもしれない。
その上で、一つ指標になりそうなのは、その瞬間瞬間で、「今死んだとしても悔いはない」という生き方が出来ているかどうかだ。

現時点で、僕がどこまで先の自分を見通せているのか分からない。
だけど、数々の後悔した経験を踏まえて、最近は後悔を予防する行動を自分なりに起こせつつあると思う。

僕みたいに後悔してしまう人が出てしまうとしたら、それを未然に防げるように働きかけてあげたい。
でも、そんなの余計なお世話だと言われてしまう風潮がある上に、自分が出来ていないという時点で全く説得力がない。

本当に長く険しい道のりだけど、これも、後で後悔しないために、最善を尽くすのみなんだなと思う。