個人的には、子どもより大人の方が感受性が豊かっていうのは信じられない。もちろん、場合によるだろうけど、子どもはビーチの波打ち際とか、街中の噴水のアトラクションで何時間でも遊べるもんだと思う。大人だと何とも思わないことに何かを感じる力はあると思う。逆もあり得るけど。 

自然が織りなすパターンは多様すぎて、人工的にはとても作りだせない。ビーチの波打ち際での波のパターンも、一つとして同じパターンはない。大人になると、波は波と同じもんだと認識してしまうけど、子どもは一つ一つの波に違うものを感じ取る。だから、何時間経っても飽きない。 

今時の子どもが感受性が乏しいのは、実は僕も感じている。そして、それは実は大人達のせいなんじゃないかとも思ったりもする。 

自然環境が少なくなったことで、子ども達の感受性が台無しになっているというのはあると思う。そういった意味では、僕は好運だったと思う。 

うちの実家の近所に高麗山という小高い丘があるんだけど、そのてっぺんから平塚の市街地が見渡せる。僕が小さい頃は、実家の辺りはほとんどが田んぼだった。田んぼで土を踏んでよく遊んだ。イナゴもザリガニもいた。だけど、今はほとんどがコンクリートで「町」になってしまった。 

一つ言えることは、大人たちの感受性の欠如のために、自然環境がことごとく破壊されていったということ。それが子どもたちに与えた影響は計り知れない。 

子どもたちにとって自然環境がすべてでは決してないけど、とても重要であることは間違いない。 

僕ら大人たちが、今の子どもや未来の世代に十分持続可能な地球環境を残してあげられるか。そのために、どれだけ真剣に悩み、行動しているか、なんだと思う。子どもたちは、そういう大人たちの真剣さとか姿勢のようなものを感じ取る能力には長けていると思う。 

子どもたちの目が死んでいるのは、大人たちが本気になりきれていないからなのかもしれない。大人たちが、リスクを覚悟で体を張って行動するようになれば、子どもたちの目に輝きが戻るのかも。