統合失調症(6)消滅させるのではなく、あっても取るに足りないものにしてしまえばいい

僕たちが統合失調症などの精神病に対して持っている固定観念は相当に強力だと思う。
恐らく、多くの人が、幻覚や幻聴などの統合失調症の症状は「あってはならないもの」だと思っているはず。
この固定観念を打破することは、例外無く僕にとっても難しい。
しかし、統合失調症の当事者の方々の回復を願うなら、自分たちがまず変わらなければならない。
人によっては、考え方を根底から変える必要があるかもしれない。
例えば、うちの父親は、「会社で社員が統合失調症を発病したら、もう会社にはいられないんだ…」と言う。
あたかも、社会生活から切り離して、薬付けにして病院に押し込めるしかないと言わんばかりに…
うちの父親は、自分を変えるのが最も難しいケースだと思う。
この場合の「変わる」とは、例えば、幻覚や幻聴を「個性」ととらえ、特別視せずに自然に向き合うこと。
北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」では、毎年開催される「べてるまつり」で、「幻覚妄想大会」と題して、自らが体験した幻覚や妄想のユニークさを競って表彰される。
精神病の当事者の体験から、妊娠→駆け落ち→出産→パチンコ三昧という状況になっても、「ベストカップル」として肯定的に表彰されたりもする。
その他、以下のように、常識にはない考え方が当たり前のようにある。
「“病気”なのにこころが健康になってくる」
「“貧乏”なのに豊かになってくる」
「“過疎地”なのに商売が繁盛する」
「“病気”のおかげで昆布が売れる」
「“病気”になって友達が出来る」
「“病気”になってホッとする・・・・」
「前向きな無力さが身につく」
「落ち込み方のセンスがいい」
(べてるの家のメールマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.021より)
例えば、幻覚や妄想を消滅させるより、それらを肯定的に価値あるものに育んでいくこと。
この一点だけ考えても、人によって、考え方を変えることは恐ろしく困難かもしれない。
それは、精神障害を持つ当事者の問題というより、やはり周りの人たちの問題なんだと思う。
もし、コミュニティを形成する僕たちが、理解し、変わる意思を共有できれば、徐々に、統合失調症はあっても取るに足りない病気になっていくと思う。
それどころか、健常者と同等か、それ以上の可能性を発揮して、コミュニティを活性化させてくれる存在になるかもしれない。
統合失調症という病気と向き合う場合、そこまで想像力を広げることが必要ではないだろうか。