初級アメリカクエスト2005でも書いた通り、初めてのアメリカ大陸旅行をしたとき、僕は一介のサラリーマンに過ぎなかった。
英語はほとんど話せなかったが、無謀にも一人で、メキシコからカナダまでアメリカを縦断した。そして、2008年、4年制大学への留学に踏み切った。昔の自分だったら考えもしなかったことだ。
僕の滞在中のアメリカは、歴史的に重要な期間だったと思う。リーマンショックで世界的な金融危機が始まり、最悪の状態を残してブッシュ政権が終わり、初のアメリカの黒人大統領のオバマ政権が始まった。
しかし、数年経過した後も雇用も景気も体感出来るほど改善されず、歴史的なウォール街発のオキュパイ運動(経済格差に反対する若者たち中心のデモ)が全国で起こった。
こんな世界的恐慌の時代に学生をやってられたのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。だけど、恐ろしくドル安になったり学費が高騰するなどの形で、激動の時代の余波を食らった。ガソリン価格も高騰し、家を追われる人も続出、失業保険は何度も延長されてそれに甘んじる人も多く見かけた。
このアメリカ滞在でのメジャーな達成は、2年と1学期分でポートランド州立大学をコミュニティ開発専攻で卒業、研修先で「傑出したボランティア賞」を受賞、創価学会インターナショナル(SGI)で3つのメジャーなリーダーシップをとった。毎月のアートフェアのボランティアガイドを2年ほどやり通した。などかな。
逆に、未達成のことも数知れず。元々志望していた大学院には受からず、対等に議論出来るほど英語力が伸びず、学校でもアメリカ人の友達がほとんど出来ず、彼女も出来なかった。「言語の壁」や「文化の壁」に加えて、30で留学した僕にとっては「世代の壁」も大きく立ちはだかった。
自分でも思い切ったなと思える点は、それまでのキャリアを捨てて新しいことを学ぶために、全財産を投じて留学をしたこと。
もちろん、家族からのいざと言う時の後ろ盾があったことが、アクセルを踏み込めた大きな理由だと思う。実際に、自分の貯金では足りず、足りない分を借りることになった。その点、両親にはとても感謝している。こういった何かしらのバックアップ環境が無いと、留学なんてとても出来るものではない。その点、僕は幸運だった。
だけど、最低限の環境があれば、やる気次第で誰にでも留学を成功させられるものだと、自分の体験から確信出来た。
留学は、一握りの才能のある人だけが出来るものではない。昔の僕が「留学するのはエリートだけだ」と思ってて諦めていたくちだ。そんな僕が、留学を成功させられた。奨学金やその他の環境はないことはない。一番重要なのは、自分にもやり遂げられる可能性があると信じられること。
僕には、間違いなく、突出した才能はなかった。進学校ぎりぎりの高校を卒業、かろうじて3流大学も卒業し、中小企業に就職出来たはいいけど、同期の中ではダントツで「一番出来ない社員」だった。「どうして自分はこんなにダメなんだ」と悩んだ。うつ気味になって自殺も考えたことがある。
もちろん、そんな僕が留学生活を乗り切るのに、並々ならぬ苦難があった。ただでは乗り切れないということ。相当の気力と体力、根気、いい意味での楽観主義が必要。
でも、留学とは、決して雲の上にあるようなことではない。無理だと思う前に、少なくとも、自分の進路の選択肢に加えるだけ加えるべきだ。
最後に、この文章では、留学の手続きや斡旋業者など、そういったテクニックについてはあまり触れていない。そういう部分は他のサイトに任せるとして、主に、発想の転換や心構えが必要な点など、僕の経験から言える部分を中心に書いた。すべての人に当てはまるかどうかは分からないけど、みなさんにとって人生に何らかの形で役に立つことを願っている。