「経済的成功を果たして、夢のマイホームとマイカーと一緒に快適な暮らしを手に入れる」というアメリカンドリーム的な発想は、もう時代遅れになってきていると思う。実際に、環境的、社会的、経済的など、ほとんどの側面で歪みが生じてきている。 

これからの時代、本当の意味で生活に豊かさを与えるモノがあるとすれば、最小限の資源やスペースで価値が増幅され、他人と共有したり交換や売買が出来るようなモノ。例えば「アート」。アートは価値の結晶であり、作品の売買や交換の促進により、持続可能な経済活動への布石にもなる。 

ただ、やはり「モノ」では、僕たち人間の幸せを必ずしも約束しない。「宝の持ち腐れ」という言葉があるように、モノの価値が生きるのは、人間が「適切な動機の上で適切に扱う場合」だけ。例えば、「みんなが持ってるから」という動機だと、一瞬満足感があるだけで、結局、その満足感は長くは続かない。 

行き過ぎた「経済的豊かさ」の追求の反省もあるんだろうけど、僕の学んだコミュニティ開発の授業では、「ソーシャルキャピタル」を重視していた。「ソーシャルキャピタル」とは、僕の理解では、社会の中での人と人との交流を促進することによる、あちらこちらで自然発生的で予想外に生じる価値のこと。 

経済成長を直接狙った政策は思ったほどうまくいかない。「ソーシャルキャピタル」を高めることにより、あちらこちらで自然発生的で予想外の価値が生まれ、その結果としての経済発展が最も効率が良く、実はあるべき経済なのだと思う。この考えでは、経済のあり方は、その土地土地で変わることになる。 

経済活動は、僕らの生活の中でどの程度の優先度で行われるべきなのだろうか?実際、個人レベルでは、会社から指定された時間は拘束され、企業文化の風潮も手伝って、ほぼその時間帯は経済活動が最優先になってしまう。これはあるべき姿?個人的には、こんな現実が嫌いだ。