今日は、「損得」についての連続ツイートをしたいと思います。「損得」と聞くと、あたかもやましい考えでもあるんじゃないかと疑われそうな程に嫌われる概念ですが、果たして、損得勘定なしに、人は行動を変えられるのでしょうか?

損得(1)「損得勘定」と聞くととても聞こえが悪いけど、とても合理的な考え方だと思う。想像力が限定されて物事の間の関連性や因果関係が見えてないと、自己中心的な範囲で終わってしまうけど、この世界で起こる事象と自分との関係を広く深く突き詰めていけば、その損得勘定は全く違うものになる。

損得(2)「損得」というのも、突き詰めていけば、簡単に「自己中心性」という範囲を超えられる。

損得(3)「正義」を示し合うと確かにぶつかり合うだけかもしれないけど、その中でも「損得」で考えれば、お互いにすんなり納得出来る時はあるかもしれない。

損得(4)僕が言う「損得勘定で行動を変える」こととは、例えば、気付かずに損していることを徹底的に洗い出して、行動を変えるということ。自分が損をし続けている状態を喜んで放っておく人は、恐らくいない。いくら自己中心的な人でも、損をしているとなれば、行動を変えざるを得なくなるはず。

損得(5)ビジネスが巨大だとそれだけ大きなアウトプットがあると錯覚しがちだけど、たかがビジネスの為に貴重な従業員(人間)の可能性が台無しにされるのは、社会全体において極めて大きな損失だと思う。

損得(6)「マクドナルド」とポートランドの「フードカート(屋台)」を対比してみる。前者は、ビジネスの効率性と、ある一定の「品質」と「安心感」がある。だけど、果たして消費者はそれでどれだけ得しているのだろうか?僕が一番注目する点は、「従業員の可能性がどれだけ活かされているか」だ。

損得(7)例えば、僕たちは、ウォルマートの品物がどれだけ安いかを良く知っているけど、その前に、ウォルマートを存在させるためにどれだけ税金で損をしているのかを知らなかったりする。

損得(8)全国規模の有名銀行にお金を預けることは本当に得なのでしょうか?破綻しても1000万円までは保障されるといっても、結局は税金で賄われる訳で、実は税金で既に損していると思いませんか?また、預けたお金は全国に分散して、結局自分たちの地域の為には貸されないかもしれません。

損得(9)手厚くケアされる人と、全くケアされない人といる。何故なのかと言えば、僕たちが好き嫌いでケアする対象を決めているからではないかな。それがいいとか悪いとかより、それが僕たちにとって損なのか得なのかを突き詰めていけば、僕たちの行動は変わるのかもしれない。

損得(10)「あいつは才能があるのにもったいない」と言う人がよくいるけど、そう言うだけで何もしないのなら、その人自身も確実に損している。他人を過小評価する人も、同じように損をしている。そして、その「過小評価して損をしている人」をそのまま放っておく僕らもきっと損をしている。

損得(11)「共同体開発の必要性」を理解していれば、ただの犠牲的精神で他人を助けようと思うことは無くなると思う。他人をエンパワーしなければ共同体が弱り、逆に他人をエンパワーすれば共同体が強くなる。共同体から得られる恩恵は、誰にとっても何にも代え難い財産のはずなんだ。

損得(12)信じようが信じまいが、あるものはあるし、起こることは起こる。そこにある一定の因果があるのか、それとも偶然起こることもあるのか、誰もが納得する答えは出ないかもしれないし、出たとしてもそれ自体が間違っている可能性もある。結局は、損得を突き詰めていって各自判断するしかない。

損得(13)信仰を持たなくても、信じる信じないを意識しなくても、僕らの活動にはすべて何かしらの信念が伴っている。どうせ信じるなら希望のあることを積極的に信じた方がいいに決まっている。逆に、希望のないことを信じて得することってあるのだろうか?

損得(14)表面的で部分的に人を疑ったとしても、根本的な部分で疑わなければ、不信や疑心暗鬼にかられて立ち止まることが少なくなり、自分を常に前向きに前進させることが出来るかも。逆に、「根本的に人は信用出来ない」って捉えることで得することってあるんですかね?

損得(15)洗脳を恐れて何も信じずに疑う人ほど、既に深く洗脳されているように思えることがある。何が正しいかなんて答えが出るはずがないから、損得と因果を突き詰めて、自分自身で実験を繰り返し、信じる対象を自分で積極的に選ぶ。積極的に信じた方が得なことはきっと沢山ある。

以上、「損得」についての連続ツイートでした。過去の関連するつぶやきを掘り出して再利用し、編集し再構築するだけで、新しい価値が生まれるものですね。と思っているのは自分だけかもしれませんが…