今の日本でも例外無く必要なのは、市民の「自治意識」と「当事者意識」だと思う。「自治」について(http://ow.ly/4vMRo)は既に連続ツイートをしたので、今日は「当事者」についての連続ツイートをします。

当事者(1)同情することも大事だけど、同情だけでは今の日本は救えない。今、同情より必要なことは当事者意識を持つこと。自分も例外なく危機の中にいて、具体的に生活が脅かされることを想像し、自分のことも本気で心配すること。そうすれば、何らかの形で具体的な行動として現れてくるはず。

当事者(2)どんなにマジメに論じようが、僕らが当事者性を取り戻せなければ、酒の肴にしかならない。RT @sohbunshu: どんな週刊誌をみても、どんな人間もセンカクビデオ。内容はどうでもいいが、人間も猫も、爺さんもガキもマジメに論じる所にこの国のバランス感覚の欠如を知る。

当事者(3)「『直接的な加害者に責任のすべてを押しつけ、一方的に非難するだけ』ということは、『自分の当事者としての責任を放棄するという意識の現れ』」という仮説を立ててみた。それは、複雑に絡み合う関連性の中から、自分だけを勝手に切り離そうとすることだから。

当事者(4)間接的にでも僕たちが急増する凶悪犯罪に影響を与えているとしたら、「自分には関係ない」と切り捨ててしまうこと出来ないはず。もし、すべてのネガティブなニュースに対して少しでも当事者意識を持てれば、そのニュースに対する姿勢も言動もその後の行動も変わってくるはず。

当事者(5)ゼロリスクの議論を盾に出る杭を叩き潰しまくるのって、ただ自分が当事者になるのが嫌で責任逃れしているだけなのかも。

当事者(6)「ソーシャル・メディアは、社会変革が常に必要とするものを提供出来ない」というニューヨーカーの記事。ソーシャル・メディアと公民権運動を比較し、当事者としてのリスクと責任の程度、階層型組織による規律などで、仮説の立証を試みている。 http://t.co/kEluIsP

当事者(7)「日本の制度は、一人ひとりの人間の当事者性を大切にする、尊重するシステムではなく、すべての制度が、制度を維持するためにある。べつの言い方をすれば、国家のために個人の当事者性が無視されているといっても過言ではない。」(「降りていく生き方」より)

当事者(8)精神障害を持つ人や依存症の人たちの自立を阻んでいるのは、周りの健常者たちの「余計な行動」なのかもしれない。「過剰に介入する」のもそうだし、偏見や先入観から「関わらない」というのも余計な行動だと思う。あくまで、患者の「当事者性」を尊重し温かく見守ることが大事。

当事者(9)「べてるの家」に来る人たちは、人間性を否定され続けてきた人たち。そんな人たちが、自分たちの力で立派にサバイバルしている。僕たち健常者が彼らを薬漬けにしたり、社会の片隅へ追いやったり偏見を持ったりしなければ、彼らは持ち前の自治意識と当事者意識で独りでに活躍していける。

当事者(10)精神障害を持つ人たちの当事者研究(http://bit.ly/fe6AGJ)こんなことはべてるの家でしかやってないかも。医者に丸投げではなく、自分の病気のことを自分で学び、治療の仕方も自分で決める。しかも、自分だけの症状を元に病名も自分で名付けてしまうという…

当事者(11)「当事者性」を取り戻すことで、いろいろなことが動き出すはず。それは、責任や制限、悩みや葛藤が常につきまとうことだけど、同時に、外の影響力にコントロールされていた自分の運命や宿命を自らの力で変える権限を手に入れることでもあるはず。

当事者(12)今の時代、政治を良くするには、能力のある政治家より、当事者性があり体を張れる市民の支援者の方が必要。民主主義は、独裁主義よりずっと良くなることも多いが、同時に、独裁主義よりずっと悪くなる可能性もある。それは、市民の主体性と当事者性にかかっている。