おそいひと

sumita2

少し前に、マイミクの方が主演している「おそいひと」という映画を借りて見た。
僕は、この映画について、あまり予備知識が無い状態で見たのだけど、取り扱いが極めて難しい内容だと思った。

実際に、あまりにも議論をかもし出す内容で、上映会後に非難が殺到し、日本では黙殺される形でお蔵入りになったらしい。
しかし、海外の映画祭で話題を集めたことをきっかけに、逆輸入のような形で日本でも上映されることになったとのこと。
実際に、僕はアメリカのDVDレンタルサービスでこの映画を観ることになった。

この映画では、脳性マヒの本物の障害者を起用し、映画の中で通り魔として演じさせている。
それも、極めて残虐な殺人鬼として・・・

そのことに焦点を当ててみたら、更なる障害者差別につながってしまうかもしれない。。。これはすごく危険なことだ。

もちろん、この映画の焦点は他にあると思う。

最初のうち、主人公の障害者は、とても穏やかで平穏に暮らしていた。
極端なオタクではあったけど、それは誰にも迷惑をかけない範囲でだった。
むしろ、障害者保護センター(?)で、とても重要な役割を担って、障害者介護に貢献していた。

そんな彼が、彼自身の介護者を通して、危険な方向へ変わって行ってしまう。
女性関係、裏切り、過激な音楽、アルコール、人間の醜い心・・・
この映画で取り扱っているテーマは、どれも身近で現実なものだ。

彼は、何故、そういったものに触れただけで、そんなにも変わってしまったのだろうか?
僕は、ここにこの映画の焦点があると思う。

彼がそんなに変わってしまったのは、彼にとって、それらが全く新しい未知のものだったからだ。

未知のものに出会った時、人は、様々な反応を示すと思う。
拒否反応を示す人もいれば、極端にのめりこんでしまう人もいる。
この映画では、その反応を「殺人を犯す」とし、衝撃のクライマックスにつなげている。

実は、この反応は、この映画に限ったことではなく、この世の中にいくらでも存在することだと僕は思う。
それが何故なのかがすごく重要だ。
僕の見方からすると、その理由は、僕らがいる社会に、極めて閉鎖的な環境に追いやられてしまっている人が無数にいるからだと思う。

この映画の設定では、極めて閉鎖的な環境に押し込められている障害者。
彼と外部との接点は、ほとんど何の変哲のない介護のおばちゃんだけだった。
そんな環境でほとんどの人生を過ごしてきた。

そんな彼が、ハードコアバンドで悪そな仲間がいるアルコール好きの介護者と、介護ボランティアとして働き出した女子大生と出会ってしまう。
彼にとっては、突然、いくつもの未知の文化と遭遇することとなり、理性的な反応が出来なくなってしまうのだ。

これは、未だに歴史的英雄のように描かれているコロンブスが、ネイティブ・アメリカンとの最初のコンタクトを、極めて残忍な方法で行ってしまったのと似ているかもしれない。
そういう人にとっては、あまりにも、自分や自分が経験してきたことと違いすぎて、極端な反応を示してしまいかねないのだ。

これは、何も、障害者に限った話ではない。
引きこもってしまっている人々や、社会的、政治的な理由を含め、社会から隔離された環境でしか暮らせない多くの人々に言えることだと思う。

僕は、何も、そいういった人たちが危険だから、さらに距離をおいて気をつけるように言っている訳ではない。
僕らの住む社会で、そういった閉鎖的な空間を放っておく限り、そういった予期しないことが起こり続けるということだ。
実際、この映画の監督がそこまで考えて作ったのかどうか分からないけど、僕はそこまで想像してこの映画を見るべきだと思う。

そして、これも重要だと思うけど、クライマックスのシーンは、その女子大生の友達が彼に興味を持ち、心を開き、彼を分かろうとし、働きかけ始めた時には、既に手遅れだった、ということを描いている。
これは見た人にしか分からないと思うけど、どこまでも気まずい場面設定だ。
この映画は2回見たけど、気まず過ぎて、2回目のそのシーンは見る勇気が無くて思わず止めてしまったくらい・・・

重要なのは、今この瞬間にも、手遅れなケースが現実に数多く存在するということ。
多発する殺人事件などがそれを物語っていると思う。

大事なのは、その因果を知って、どう行動するかだと思う。
社会の中でも、分け隔てなく、誰もが居場所を持ち、当たり前のように共存できる環境。
そうした環境に身をおくことで、例え自分とは違う人間に遭遇しても、自然にその違いを克服出来るようになるのだと思う。

個人的には、日本にとっても世界にとっても、これは急務だと思っている。
僕が将来やりたいと思っていることも、このことに大きく由来している。

参考:脳性マヒの殺人鬼 — 『おそいひと』主演・住田雅清インタビュー