彼女と付き合いはじめて3ヶ月ほど経った。

これまで振り返ってみると、ほんといろんなことがあったけど、うまく行っているようでうまく行っていなかったのかもしれない。

彼女と、出来る限り時間を割いて会っていろんな話をした。

いろんなアドバイスもしたし、精一杯激励もした。

家のことも手伝ったりもしたし、生活を支えるお手伝いもした。

凄まじく時間を割いて、出来る限りの元気の出る話をして、最大限に労力も提供した。

でも、がっちりギアが噛みあって、確実に前進しているようにはとても思えなかった・・・

何しろ言葉が多すぎた。

寝不足の頭でも、その場で無理矢理答えてあげるのが一番だと思っていた。

完全に彼女を型にはめようとしていた。

超窮屈になっていただろうと思う・・・

言葉が多すぎて、自分の中で昇華されていなかったのかもしれない。

むしろ、一貫性のない言葉群に、混乱さえしていたかもしれない。。。

そんな僕は、彼女の気持ちなんて考えずに、思い通りにならない状況に絶望さえしていた。

自分の生活を犠牲にして凄まじく自分の時間を割いたのに、むしろ、状況は悪化していたかもしれない・・・

完全に自信を失っていた・・・

この3ヶ月、ただ時間を無駄にしてしまったとさえ感じた・・・

しばらく日記が書けなかったのも、それが原因だったんだと思う。

正直、このままのままで付き合って行くのは無理だと思った。

お互いに苦しいだけだから。。。

何が足りなかったのか考えてみた。

アメリカ旅行を含めて、恐いもの知らずで驀進していた時には、必ず「祈り」があった。

朝晩の「祈り」から発せられる「決意」と「感謝」があった。

「祈り」のない行動は、いつも空回りするだけだった。

「祈り」の無い僕の言葉の効力は、きっと長くて3日間くらいだったんだろう。

その場しのぎのテクニック的なものに過ぎなかったんだと思う。

それでも、出来るだけ一緒にいて絶えず言葉を送っていたから、何とか今までもっていたようなものだった。

本当に相手のことを想うなら、いつでも傍にいてあげて何でも答えてあげることが最善の方法とは限らない、とそのとき思った。

一番大事なのは、確実に、相手が「自ら答えを導く」ということ。

そう考えると、きっと、そういう時にかけてあげられる言葉ってもっとシンプルなんだと思う。

僕がどう思うかとか、こうした方がいいとかは、それほど重要ではなくて、そんな時は、例えば、「自分ではどうしたいの?」って答えてあげる。

そこから始めれば、相手にとって、きっとベストな答えが導けるんじゃないかなと思った。

これは、僕が3ヶ月間、苦しんできて導き出せた答え。

これは、僕にとって一生ものの貴重な体験だ。

そう思えるだけで、この3ヶ月間は決して無駄ではなかったんだと思える。

これからどうなるのかは僕にも分からないけど、僕がやるべきことは、これから必ず毎日「祈り」の時間を確保し、「祈り」を根本に、今まで以上に誠実に彼女と接して行くこと。

振り回してしまったことを申し訳なく思うけど、そんな貴重な体験をさせてもらった彼女に心から感謝します。