議論において「手の内を見せない」ということは戦略の一つだと思うけど、それは何のためなのだろう?議論に勝つ為という目的があると思うけど、それ以外何がメリットで、結果的に誰が恩恵を受けるのだろうか?
ソーシャルブックマークサイトを運営する「はてな」は、重要な会議の内容をオンライン上に流すなど露出狂なほどオープンな組織だと聞いたことがある。それだけ自分たちの可能性に自信があるということ。僕も、ビジネスのアイデアから何から手の内をすべて見せるようにしている。
それは議論においても同じ。例え議論で不利になったとしても、手の内をすべて見せる(それさえも理不尽な手段で妨害される場合もあるけど…)。それは、議論に負ける事を必ずしも恐れていないから。
手の内を全て見せて相手がさらに優れた論理を展開すれば、自分も新たなレベルのチャレンジが持てる。そして、結果的に相手が一歩も二歩も優れた結論を持っていても、それが社会で具体的に役に立てば、結果的に自分の恩恵にもなる。
このように、負けることを恐れず、むしろ「負けても嬉しい」議論こそがウィンウィンの議論だと思う。それには、1.「自分の手の内をすべて見せる」、2.「自分だけでなく相手の精神状態を最高の状態に保つ」、3.「潔く負けを認める」の3つが最低限必要だと思う。
そして、何よりも大事なのは、議論をする「動機」だと思う。動機が「議論に勝つため」というのもありだけど、それではウィンウィンな議論は出来ないと思う。元からそういう目的でなければいいのかもしれないけど、勝ちに拘る以上、ベストな結論は導きだせないはず。
ベストな結論を導き出すには、牽制し合うより協力・信頼関係を築くこと。その為には、動機を「ベストな結論を導き出すため」として共有し団結すること。その為には喜んで議論に負けられる体制をお互いに持つことだと思う。