パナソニックが藤沢市で進めるスマートタウン構想。インフラ構築から着手せず、エネルギーやセキュリティー、モビリティー、ヘルスケアなどの観点からまずは住民の暮らしを考えた構想らしい。とても先進的な部分もあるけど、個人的にはやはりあるべき姿からズレている気がしてしまう。
スマートタウン構想。確かに、街全体が一体感を持って無駄無く効率的に成り立つようになるところは評価すべき。だけど、それでも、あくまで、たかが一企業の限られた想像力で作られた町だ。それを作ってから人を呼ぶってのは、やはり順序が逆なんではないかと思う。
そういった観点からすると、従来の開発からして本末転倒だったりするのではないかとずっと思ってた。開発された土地には、近年のトレンドを模倣したそれっぽい住宅が建ち並び、その後に居住者を募集する形…個人的には、これって人間をバカにしたような行為だと思う。人間の個々の個性が、全体的なトレンドに封じ込められてしまうというような…
人それぞれ、住みたい家って、色も形も当然違うと思う。いくら大きな企業が想像力を駆使したって、まだ見ぬ住人の意向なんて読める訳がない。今のような住宅供給過多の世の中では、将来の住人がいるのかさえ分からない。そんな無責任な状態で家を建てまくっている。
そういう無責任な開発をする側も悪いけど、あてにならないトレンドに沿ったそれっぽい家を購入して喜んでいる僕らも僕らかもしれない。一見、そんな家が欲しかったと思うかもしれないけど、そう思わされている可能性がある。一時的な満足感に、本来の自分の想像力が閉ざされた状態なのかも。
スマートタウンみたいな商売が主流になってしまうのは、民主主義が弱い証拠なんじゃないかと思う。生産者と消費者という関係がくっきり出来上がってしまうのは、政治の世界でいう、供給者(政府)と受給者(市民)という役割分担の構造が完全に出来上がってしまったような状態ではないか?
スマートタウン構想では、町を作る前にもその現場にも、将来の住人の姿はない。もちろん、従来の全然スマートじゃないまちの開発よりはずっとマシだけど、企業はまだまだ消費者を過小評価しているし、僕たち消費者もまだまだ十分に賢くない。
民主主義が成熟したコミュニティでは、企業の経済活動も住民によってコントロールされ、自分たちの住むスペースや建物も、建設工事までしないまでも、自分たちが主体的にデザインし、コミュニティ全体で継続して議論して変革し続けていく。
市民の立場で国政レベルの問題に立ち向かおうとしても、実質的にはほとんど影響力を持てないと思う。だから、身近なコミュニティから始めるべきだと思う。一企業が構想したスマートタウンよりもっと価値的なまちを、自分たちの手で作り上げるということ。
個人的に取るだろうアプローチは、スマートタウン構想とは対照的かもしれない。新たに町を作るなんて大規模なものではなくて、既存の近所単位で住人が定期的に集まってとことん議論するのをサポートすること。住民が互いに視点を出し合い、審議して、合意に持ち込み、実行するのを支援する。どんな結果になるかは、誰にも予想出来ない。
商売をするにしても、既存の近所で住民が集まって民主主義的に近所を暮らしやすくしていく場をファシリテートし、その範囲内で決まった、小刻みでオーダーメイド的な商品の設置や建設工事などを担っていけばいい。
間違いなく言えることは、スマートタウン構想は、民主主義とかファシリテーションとかとは全く別のところで話が進んでしまっている。スマートになったことで前進としてしまうか、この点であるべき姿からむしろ後退していると捉えるのか、とても判断が難しいところだと思う。