『マンションで78歳母と49歳長女が餓死、二女も衰弱』

 21日午前7時ごろ、北九州市門司区中二十町、市営大里団地4階の男性から「隣室に住む女性が『気分が悪い』と訴えている」と119番通報があった。

 北九州市消防局の救急隊員が駆け付けたところ、405号室の中から女性2人の遺体が見つかった。助けを求めた女性は、やせて衰弱しており、病院に搬送された。福岡県警門司署は、死亡した女性2人もやせ細っており、外傷がないことから餓死したとみている。

 調べによると、6畳間のベッドで小林寿子さん(78)が横たわっており、4畳半には長女の千代子さん(49)が倒れていた。寿子さんの遺体は白骨化しており、死後1年以上経過、千代子さんも死後約2か月たっているとみられる。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060421i305.htm?from=main3

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世界にはもっともっと悲惨な状況があるって事は僕でも知っている。
だけど、実際にその現場にいた事はないので、その痛さとか苦しさとかは分かるはずがない。

だけど、このニュースは、国内で起こっている身近な問題なだけに、本当にリアルに危機感を感じた・・・

以前、ドキュメント’06を見て、国内にも確実に餓死する人が存在するという事は知っていたけど、リアルタイムでニュースを聞くと、さすがにショックで、仕事中なのに涙が溢れてきてしまった・・・

そのドキュメント’06の特集の中では、確か、僕くらいの年の青年が、親に大見得を切って田舎から都会へ出たのだが、仕事がうまく行かず、生活に行き詰って生活保護の申請を出したのだが、厚生省からの認可が下りず、借りていたアパートの台所で、誰からも発見されずに、骨と皮だけの半分ミイラ化した無残な姿で見つかったというものだった。

背景には、年々、生活保護の受けられる基準が厳しくなってきているとの事だった。
政府の方針で、厚生省の予算が大幅に切り詰められた結果だ。

それによって、生活保護関係の窓口の人は、訪れた人が瀕死の状態だったとしても、「出せない」と言わざるを得なくなる。

それを繰り返していると、窓口の人も、それに慣れて来てしまって、無機質になり、人の命がかかっているのにも拘わらず、仕事と割り切ってしまうようになる人もいるようだ・・・

ドキュメント’06の特集の中の、窓口の人の機械の応答のような無機質な口調を、僕は忘れる事が出来ない・・・

必ずしもその窓口の人だけが悪い訳じゃない。
彼は、どちらかと言えば、不幸な被害者なんだと思う。
元を辿れば、加害者というのは、こんな悲惨な環境を作り出してしまうような社会を作っている僕等一人一人にあると思う。

今回のニュースの場合は、生活保護の申請をしていたのかは不明だけど、もう一つの大きな問題は、彼女らに、ご近所付き合いがほとんどと言って無かったという事だと思う。

読売オンラインのこのニュースには下記のような記述もあった。

>同団地に住む女性は「小林さんらは20年以上前から住んでいる。ほとんど近所付き合いはなく、数年前に、部屋の外ですれ違ったぐらい。まさか、こんなことが起きるなんて」と驚いていた。

確かに、彼女らが周りに助けを求めなかったのもいけないと思う。

だけど、僕達が進んで手を差し伸べる事は出来なかっただろうか?

近所にいる人たちが、餓死してしまった人に、相談してもらいやすい状況を作ってあげる事は出来なかっただろうか?

こうやって、人々が排他的になり、どんどん孤立していって、誰の目にも届かないような場所に追いやられてしまうという事に、僕はすごく悲しさを覚える。。。

この流れを断ち切らない限り、日本の明るい未来は絶対にないと思う。

真剣に考えていかなければ、取り返しの付かない時期に来ているのではないかと痛いほど感じているのですが、みなさんはどう考えますか?