僕は、弱い立場の人たちとはほとんどためらいなくつながっていける。逆に苦手なのは、リア充の人たちや、自分のステータスを友達を選ぶ基準にする人たち。そういう人たちにとって、僕は異物でありリスク。勝手に思ってるだけかもしれないけど、そういう人たちにとって、僕は受け入れられにくいだろう。
社会に居場所を持つハードルの高さってそういうところから生まれるんじゃないかと思う。非リアにとって、リア充にのし上がるのはとても難しい。でも、きっと、非リアが集まってコミュニティを形成すれば、リア充さえも体験したことがない居心地の良い場になるのではないかと思う。弱さを絆に…
弱い者同士でつながるって、とても素晴らしいことだと個人的には思う。恐らく、今リア充の人たちよりずっと充実した感覚を味わえる。非リアの人は、必ずしもリア充の人を羨む必要はないと思う。そこには、逆に、閉鎖性とか限界が見え隠れしている。
僕が、社会的とかいろんな意味で弱い立場に身を置くようにしてるのは、弱い者同士でつながることによって生まれる可能性を実証したいからなのかもしれない。それを強い立場でリア充の人に示したいというのがある。
よく考えてみれば、僕の回りには、精神障がいやうつを抱えている人や、ついこの前まで生活保護を受けていた人、性的マイノリティの人など、弱い立場の人たちが多くなった。20代前半の時とは、接する人のタイプが劇的に変わっている。
僕には勝ち組にもなれるし、強い立場になる選択肢を持つことが可能なのかもしれないけど、あえて負け組という弱い立場で、差別さえされるような立場を選んだ。珍しいタイプなんだろう。世間から見れば理解に苦しむと思う。親からも全く理解されないし。
僕がそういう選択をしたのは、負け組の中で弱さを絆にしていた方が、むしろ人間らしくいられるって感じているから。変なプライドを捨てれば、居場所は作れるし、必要とされる場はいくらでもある。参加するのに条件がいらないコミュニティをどれだけ持っているのかも、人生の豊さの指標の一つになるのかもしれない。