アメリカに住み始めて1年半が経ちました。
正直、早かったのか長かったのか良くわかりません…

こんだけ住んでても、実は、未だにクラスで教授が言っている事が半分も聞き取れません。
他の留学生は明らかに僕より聞き取りも話すのも上達が早いです。
「勉強が忙し過ぎて英語を話す機会が持てない」というのも、半分は本当だけど、もう半分は言い訳ですね。
明らかに、こっちの人たちと英語で会話をするのを避けてしまう場面が多々あります。

そんなこんなで、クラスの内容を聞き取れないのは相当のハンデだと焦ってました。
実際に、他の生徒は、講義の内容を理解し、分かりにくかった所はガンガン質問して吸収していってしまうんです。
それに、クラスメートが話していたことで、彼らは僕が6時間以上かけてやっと仕上げられるエッセーを、1時間や2時間で仕上げてしまえるそうです。
この置いてけぼりにされているような焦りは、恐らく経験者にしか分からないと思います…

でも、こんな状況でさぞ学習の差が開いていると思いきや、実はそうでも無いということに自分で驚きました。
実際に、僕の成績は、学年の平均より明らかに高いんです。
「努力」でこの結果が打ち出されているのは間違いないでしょう。

そこで、どんな努力を僕がしているのかを自分で分析してみました。
恐らくそれは、少ない情報を元に、足りないものを自分の内から捻り出す努力だと思います。

講義の内容があまり活用出来ないということで、僕が使える情報は、テキストと過去の知識と経験だけです。
もちろん、テキストの内容は他の生徒の3倍以上時間をかけて読んで理解を試みます。
それで、エッセーを書き始める前に、その時の限定された知識を元に、本当に繊細なところまで掘り下げてネタをほじくり出します。
そこからは、ネタとネタの間にある関連性を半ば強引に見つけ出すことを試みます。
後は、辛いけど、他の生徒の3倍以上時間をかけて形にしていくんです。

恐らく、他の生徒は、講義の内容も含めて、それほど頭を使わないでもすらすらエッセーが書けてしまうんでしょう。
これは実は効率が良いように見えて、学んだ内容に頼るばかりで、自分の引き出しを使う努力をしなくなる危険性があると思うんです。
逆に、僕のオリジナリティは、僕自身の抱える「ハンデ」から生まれていると思います。

そういった意味だと、「ハンデがある」ということは、損な場合もあるかもしれないけど、得になる場面も多分にあると思いました。

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