税金の無駄遣いって、政治家だけでなく、僕たち国民も大いにしていると思う。

生活の安定の手段を考える時、今よりもっと稼ぐことより、今生活にかかっている費用をいかに抑えるかを考える。「税金」は最も大きな問題。例えば、ゴミ問題を自治会レベルで解決出来れば、市民税が減るかもしれない。こういったことの積み重ねでしか、生活の安定はないような…

豊かになる為にお金をさらに稼ぐ必要は必ずしもないはず。政治に働きかけて税金の無駄をなくし、同時に税金の使い道をみんなに利益のある形で決めること。既存の空間や建物、資産や資源を駆使して、一見、狭くてゴミゴミして古く汚かったりしても、愛着が持てるものにすること。こういった努力が大事。

「政治=汚いもの」と見ている人は、その時点で偏見や先入観が働いていると思う。政治自体はニュートラルで、僕たち人間次第で腐敗もし得るし高貴なものにもなり得る。だから、今の時点で政治が腐敗しているとしたら、「自分たちがそうした」という意識を持たなければならないと思う。

政治のことと言えば、多くの人が国政レベルのことしか話をしていない。それがまず問題だと思うんだ。

政治の世界で言えば、楽観主義の人は、国政という巨大過ぎる壁を前にして立ちすくむんじゃなくて、自治会とかご近所さんとの対話活動などから着実に始めるんじゃないかと思う。

政治を変えるにはどうすればいいか?一般市民が国政レベルの政策決定に影響与えるのは難しい。しかし、地区や近隣という単位で自治機能を作り、実生活に直接影響を与える事なら出来る。無数の零細自治共同体によるボトムアップの政治が実現すれば、国政も変わる。

政治で大事なのは、多数決で決めることより、合意に持ち込むことだと思う。僕たち国民が、時間と労力をどれだけ積極的に注ぎ込んで、視点を出し合い、審議出来るかにかかっていると思う。「仕事で忙しい」とは言っても、仕事なんてしている場合じゃない場面は沢山あるはず。

政治科学は、「自分の専攻じゃないからいいや」では済まされないものだと思った。クラスを取っていたとき、そういう風に思ってしまう自分との格闘が続いていた…

科学は部分的な範囲で完全な論理が展開出来るものにすぎず、その範疇を超えて適用してもうまく行かない場合がある。ましてや、人間の社会に、「システム」として無理矢理適用しようとしてもうまく行かない場合が多い。市民の参加より科学的な意思決定が優先される政治は黄信号だ。

「そもそも社会起業家や非営利団体が必要になるのは、政治に穴があるからではないか。だから、例えば、この穴を塞ぐことを考慮せずに社会起業家を目指す、ということは、言い換えれば「自分で作った過ちの尻拭いを自分でする」という自作自演?一番必要なのは、「治療」ではなく「予防」。

「持続可能な社会」と「不幸な人々」は両立し得る。政治システムの整備に加えて、他にやらなければならないことが必ずあるということ。

ボランティアは自己犠牲的な活動ではありません。間接的でも、具体的に自分も得するからやるんです。例えば、民主政治を実現する為の活動をボランティアでやれば、無駄な出費が無くなって税金が安くなるばかりか、みんなが本当に欲しい機能を社会に付加出来る可能性があります。

民主主義国家において政治的な衝突は必然であり、むしろ歓迎すべきだ。日常的に近所で起こる民衆の間の衝突が最も好ましい。それを避けたり、隠したり、無視したり、押さえつけたりするのが一番いけない。