突然ですが、みなさんは、本当に悟った人が取る行動とは何だと思いますか?
神様のような目線で、高尚な教えを説くと思いますか?

世の中には(特にネットの世界には)、いかにも悟ったような口調で、自分のことは棚に上げて偉そうなことばかり言いまくる人が沢山います。
言っている事は何だか壮大ですごそうなので、何となく納得してついて行っちゃうところがあると思いませんか?
ネット上ではカリスマぶってて、何人かファン(?)がいるのに、実際に会ってみると大した事無くてがっかりしたことが何回かあります。

高尚な哲学だけを語りまくる人はどうもうさん臭いといつも思ってしまいます。
本当に悟っているのかな?と疑ってしまうのは、人々がその高尚な哲学を智慧のレベルで理解出来て、現実世界で具体的に役立てていけるかどうか、なんです。

そのやり方で民衆がその域まで達せないなら、その人は「悟った」とはとても言えないんじゃないでしょうか。
むしろ、かなり基本的な部分でつまづいてしまっているんじゃないかと個人的には思います。

僕は、悟りを開いた(とされる)時に釈迦の取った行動が好きです。
彼がそれから取った行動は、高尚な思想を語るんではなくて、民衆の中に入って、民衆と同じ立場で、泥臭く人間としての模範を示したんだと思います。

目立たないし、割に合わないことばかりだったでしょう。
むしろ、罵声を浴びたり、迫害されたり、痛い目にあったこともあったと思います。
でも、それでも、彼はあえてその道を選んだんです。

何でだと思いますか?
恐らく、それが、人々が同じように悟れるようになる一番の近道だと判断したからでしょう。

哲学なんて、分かった気になっているだけじゃほとんど役に立たないものだと思いませんか?
哲学や思想を聞いただけじゃ、何かすごそうだと感じて一時はついて行っても、結局はちょっとの苦難でもあれば簡単に離れてしまいそうですよね。

でも、模範の人の具体的な行動から学べることは、心の奥底により深く刻まれ、文字通りの言葉の意味よりももっと深い次元で理解が出来ると思います。
文字や言葉で学ぶよりも、どんなに小さくても、模範の人の行動の中から得られる因果の方が、遥かに価値があると思います。

僕は、ナイチンゲールのこの言葉が好きです。

「この世界をも変える事の出来るもの、それはあくまで自分が模範を示す事なのです」

一つ言える事は、僕は悟りなんて全く開けていません。
ただ、彼女の言葉や釈迦の生き方のように、とにかく模範を示して人々に良い影響を与えて行けるように、精一杯頑張ろうと思っている段階です。